2010年09月23日

携帯メール(5)

    (5)


『オペ終了。フラフラだよ。フルマラソンを走った後のようだ。でも完走したよ。きみが待っているゴールに一番乗りさ。』


24時間ぶりに携帯メールを送信。


『お疲れ様!完走おめでとう!あなたのくったくのない笑顔が目に浮かぶわ。ゆっくり休んでね。』


僕の本当の笑顔を知っている数少ない人。
僕の救助信号を感知してくれる唯一の人。
遠く離れていても。


静かに自分を見つめることが出来た時間だった。
死と対峙した時に、人間は初めて自分のやりたいことを理解できる。

企業での利潤追求の仕事は50歳までに、切上げよう。
それまでには子供達も成人している。
あと10年弱を会社勤めしたら、それから先の人生はフリーで働くという夢。
漠然とした夢だったものが、形として捉えられるようになってきた。

ネット社会は、地域によるデバイドを消失させつつある。
どこで働いていても、ネットの中では自分が情報の中心になれる。

東京で働く必要が無くなれば、ジャズの流れる港町に住み、小さなオフィスで海を見ながら働こう。
利潤追求に囚われ、患者の利益より企業の利益を優先させる会社生活にピリオドを打つ。

ベッドの中で、吐き気に襲われながら、はかない夢を現実化させる方法を考えながら眠りについた。



一週間後、癌細胞の再検査の結果が分かった。
比較的、性質の良い癌だった。
「5年生存率は90%以上です。」
医師は微笑みながら言った。
……それは確率の問題だ。
ぼくが残り10%のほうにいたとしても、不思議ではない。


病院からの帰り道。北風の中を町を歩く。
胃の中まで、風が吹き抜けて行くようだ。
枯葉はもう姿を隠し、町はクリスマスのイルミネーション一色だった。
ジングルベルの歌を聞きながら僕は携帯で彼女にメールを送る。

『僕の5年生存率は90%だって』

『あら、いいじゃない。私の5年後の生存率なんて分からないんだから。
ところで、素敵な海岸沿いのレストランを発見!あとでPCのメールで連絡するわ。』


はかない夢でも、現実化させないといけない。
僕に残された時間を考えると、決して夢を遠くに見てる余裕は無かった。
しかし、それはなにも病気になったからという訳でもない。
本当は、余裕が無いことを自覚したくなかったからかも知れない。

誰もが、自分の時間に区切りをつけて考えたりしないだろう。
明日が永遠にやってくると思い込んだふりをしているだけだ。
それこそ、はかない夢なのかもしれない。

北風の中を僕は地下鉄の駅に向かった。


(上へつづく)


posted by ホーライ at 21:50| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(4)

    (4)

あの人の病気のことを、一人で考えていると知らないうちに涙が出てくることがある。

私に出来ることは祈ることだけ。

あとは、携帯メールでいつものように他愛の無い話題をして、あの人が少しでも病気のことを考えないようにしてあげるだけ。
これは、人生のなかの一つの出来事でしかないと思うようにしてあげる。
朝、起きてトーストを焼くように。
夜、眠る前にハーブティを入れるように。

涙を拭き、明るい心に切り替える。
私の心があの人の心に反応してはいけない。




海岸通りの、海が一望できるレストランを雑誌で探す。
二人で、小さな島に行くのもいい。
それも、全ては明日の手術の結果しだいなのか、どうか。
私には詳しいことは分からない。

雑踏の中を歩く。知らない人が私にぶつかる。
人ごみは嫌いだから、人の通らない裏道が好き。

あの人の行為が全て、私に伝わってくることはない。
多分、外来受付けまで出てきてメールを送ってくれる。
多分、入院ベッドの上で、明日の手術を考えている。
そして、海が見たいと答えてくれる。


私に出来ることは、祈るだけ。

裏通りのビルに挟まれた夜空を見上げ、月に祈る。



わずかで貴重な時間に、電車で駆けつけてくれるあの人の行動力が私をあの人に惹きつける。

私が困っていると、私の住む街までやってきてくれる。
いつも笑顔で迎え、笑顔で別れる。

遥かな「のぞみ」なのかもしれないけれど、私はあの人と共有できる時間を独占したくなることがある。
あの人に残された貴重な時間を。

首を振り、ため息をつくと街を歩く。

とにかく手術の結果がどうあれ海を見に行くことを決め、私は電車に乗る。
癌細胞があの人の体を蝕むようなことはさせない。
私には科学の知識も、医学の知識も、薬の知識も無い。
でも、あの人は抗癌剤の新薬を開発していたこともある。
その人が大丈夫だと言うなら、私はそれを信じていく。

「あの人には癌を再発させない。」
死を思うことが、生をよりかけがいのないものにさせる。


初冬の海へ。
襟を立てながら、山から吹き降ろす北風の中を二人で歩く風景を想像する。
ジャズの似合う街並みが好きだと、あの人は言った。
そして
『君と「風の歌を聴け」の風景の中を歩きたい』
とメールで送ってきた。

そこは私の生まれた街にも近い。

……気がつくと、私は恋に落ちていた。


(上へつづく)


posted by ホーライ at 21:47| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(3)

   (3)


仕事も同僚との付き合いも、今まで通りと同じだった。
僕の病気を知っているのは、携帯の電波の先にいる彼女だけ。

彼女は、今までと同じように明るいメールを送ってくれる。

『月と太陽と4月の風。あなたが好きなのはどれ?』

『優しい月の光』

『私も月は好き。でも、明るい太陽の下も好き』

『僕は夏から秋にかけての季節の変わり目も好きだな』

『春よ!絶対に。これから!という感じでしょ?』


……。
いつもの会話が、僕の心を和ませる。


僕の体内で、今でも我が物顔で増殖し、自分の分身を僕の体中に、ばら撒こうと機会を伺っている癌細胞。
笑いは免疫力を高める。

病気は、自分との戦いだということを痛感した。

精神的に参ってしまっては、肉体も負けてしまう。
少なくとも、彼女とのメールでは、病気の話しは二度と出なかった。

毎日、眠る前には癌細胞が消失していくイメージを頭に描きながら眠りについた。
それは間違い無く、生きる目的を考えさせ、自覚させる時間でもあった。

何故、そこまでして病気と戦うのか?
「死」が怖いからだけなのか。

そうではない。

僕の肉体がこの世界から消えたら、逢えなくなる人がいるからだ。
意識の消失で、その人の笑顔が見えなくなる、声が聞けなくなる、言葉のやりとりが出来なくなる。
耐え難い孤独が永遠と続く……。
何故、こんな単純なことに気がつかなかったんだろう。

僕は、その人のために病気と戦う。


ファイバーを使っての癌の切除。
今朝、手術の説明を医師から聞いた。
ファイバーを口から入れ、癌をかきとる。局部麻酔で済むとのこと。
今日のお昼から食事は無し、点滴だけでエネルギーを維持する。
明日の朝9時から手術を行う。

朝が過ぎ、お昼が過ぎ、そして、暗い病室で一人、明日の朝からの手術を思い浮かべ夜を過ごす。
漆黒の闇。
廊下を歩く看護婦の足音。
遠くで聴こえる街の喧騒。酔っ払いの叫び声と女性の笑い声。

じっと明日の朝を待つ。自分の心臓の音だけが聞こえる深夜。

入院病棟は携帯メールも禁止されていた。

夜10時。携帯を持って外来受付けまで行く。
そして彼女からのメールを受信する。

『今度は何処に行きたい?』

『水の見えるところがいいな』

『海?川?湖?』

『海だね、断然』

『了解。じゃ明日までに作戦を練っておくわ。また明日。オヤスミ』

『うん、また明日ね。オヤスミ』


携帯を切り、病室へ戻る。

孤独が支配する闇と冷たいベッドだけが僕を待っていた。

そして、明日を迎える。明日の夕方にはまた携帯が使える。その時に送る携帯メールの文面を考えて眠りにつく。


彼女の存在だけが、僕に生命の炎を燃え立たせる。


(上へつづく)

posted by ホーライ at 21:46| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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