2010年09月23日

携帯メール(8)

    (8)


部屋でアジアの写真集を見る。
いつしか、私は時間をつぶす術をいくつも抱きかかえていた。

携帯電話が鳴る。
あの人からのメールであることがメロディで分かる。
写真集から目を離すことが怖かった。
癌が再発したあの人から。

『今度の週末に会えるかな?』
いつも遠くから私のところまで、やってきてくれるメール。そしてあの人。
震える指でメールを打つ。
『いいわ。待っています。』 


再発の危険性をいつも抱えながらも、私をくったくのない笑顔で迎入れてくれる人。
まだ、どこに癌が再発したのか聞いていない。
あの人が教えてくれない。

癌は転移する。
どこに再発したのだろう。
胃? それとも別の場所?


私もネットで胃がんのことを調べた。
初期の発見なら5年生存率が高いこと。
でも、転移したら今度は手術だけでなく抗癌剤治療も必要になるだろうということ。


癌が転移していたら、転移が見つかった場所だけでなく、まだ見つからないほど小さな癌が体のどこかに潜んでいる可能性がある。
だから、手術で見つかった場所だけでなく、抗癌剤を使い、体中に潜む癌細胞を殺す必要があるらしい。


どこか、遠い国の話しと思っていたのに。



今の私にできることは、希望を失わないことだけ。
現実を見据え、それに立ち向かうだけ。

涙は見せない。

風が窓の外に見える樹木の枝を揺らしている。

私もいつか、この地上から消える。
あの樹木たちが、残っているだろう100年後。
私はいない。
遠くに見える山と雲。
500年後にも、あの山と雲は存在するだろう。今までそうだったように。

アジアの仏像。ヨーロッパの芸術。アフリカの古代文化。各地に伝わる民話、民謡。
千年単位で想いを走らせる。
これから生まれてくる子どもたちがいる。

「時間は遥かな未来まで繋がっているんだわ。」
言葉が口をついて出てくる。

私に残せるものが有る。

本を閉じ。
パソコンのスイッチを入れた。
そして、二人の記録を残すために、サイトを立ち上げるためにネットに繋いだ。


私は二人の出逢いを思い出し、文字を入力した。

白く光るディスプレイに向かって。

私とあの人が生きてきた証として、どんなに辛いことがあっても書き続ける。

『「僕と同じだ」と言って、あの人は「風の歌を聴け」を見せた。
「そうですね。……私達、同じですね。」
こうして、私たちは出あった。 病院の総合受付の前で……。』


(上へつづく)
posted by ホーライ at 21:57| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(7)

     (7)


腫瘍マーカーが上昇していた。
一週間置いて二度計ったが、通常の範囲を遥かに超えていた。

MRIの結果、咽喉に小さな腫瘍が見つかった。

北風も入らない妙に暖かい診察室で医師は言った。
「切除しますか?それとも抗癌剤を使いますか? もちろん、切除しても抗癌剤を使います。ただ、切除となると声を失います。」
湿った空気が流れた。
乾燥を防ぐために加湿器を使っているようだ。

「私は切除することをお奨めします。それと放射線照射と抗癌剤をしばらく続けるのが標準的な治療ですね。」


声を失う。
どんな世界が待っているんだろう。

「まぁ、今は人口声帯も有り、訓練すれば意志を伝える位にはなりますから、生活には困らないと思いますよ。」

もちろん、抗癌剤だけで叩くことは無理だというのは知っていた。
多分、僕には選択権は無い。

命と引換えに声を失う。
抗癌剤の治療の苦しさも知っている。
標準的な治療薬で再発したら、今度は治験薬の使用になるだろう。
自分が勤めている会社の治験薬を投与される可能性も有る。


「オペしてください。」
「そうですね。それがいいでしょう。では、今からオペの予定表を調べます。」
医師が出した予定表には、何人かの名前が書かれていた。
さらに「Radi」と書かれている表も垣間見えた。放射線照射の予定表だ。

「来月の14日が空いていますので、その日にしましょう。 入院の準備は看護婦から伝えてもらいます。では。」


外来の別室へ看護婦に連れていから、「入院のしおり」をもとに説明を受けた。
事務的な話しを受け、事務的に答える。



病院の外は新しい年を迎えた街が、いつもの賑わいを見せていた。

『今度の週末に会えるかな?』 携帯のボタンを押す。
携帯が震える。
『いいわ。待っています。』 

絶え間なく流れる車を見ながら、僕は彼女に伝える最後の僕の「言葉」を考えた。


(上へつづく)
posted by ホーライ at 21:54| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(6)

     (6)


新しい一年が始まった。

私がこの携帯を持ち始めて1年。
携帯電話とインターネットで私の人生が変わった。
これまでなら知り合えないような人たちとも知り合いになれた。
そこでの交流を、今のパートナーは知らない。
彼は仕事から帰宅すると新聞を読み、テレビを見て、時間が有ればネットにもつなぐ。
彼のネットを通しての友人を私が知ることもない。

毎日の平凡な人生が嫌いなわけでも、今の生活に不満がある訳でもない。
子供達も徐々に私の手から離れてきている。

新しい人生を考えてもいい。
主婦として母親としての役割が間もなく終える。
妻としての役割がいつ終わるのかは分からない。
そこに終止符を打つつもりが私の心の中に有るのかも分からない。
ただ、あの人との交流も持ちつづけたい。

この関係がいつ終わるのか、どのようにして終わるのか、考えてみることもある。
でも、いつもそれは想像できなかった。



携帯メールをやり取りし、ごくたまに食事をしデートをする。
5年後の生存率にどんな意味があるのかも分からない。
私の5年後?
一年後すら想像できなかった。
あの人と巡り会うことも一年前には分かっていなかったのだから。

自分とパートナーと子供達の年齢だけがはっきりとした数値として分かるだけ。

私の5年後の生存率は、きっとあの人と変わらない。
世界中の人とも変わらない。

5年後の世界に私が存在する確率は不明……。



今年の私の目標は、自分のライフワークを見つけること。
どんなささいなことでもいいから。
私が存在するために必要なライフワーク。

あの人は50歳で会社を辞め、自分の夢を追いかける。
私も少しはそれをサポートできるかも知れない。
でも、私の夢の代わりにはならない。


今年はイタリアにでも行ってみよう。
もう何度か行ったことがあるので友人も多い。
新しい世界を見れば、視野も少しは開ける。
新しい出会いが、また私を新たな世界へ連れて行ってくれるかもしれない。

新しい一年を迎え、まだ活気が戻っていない街へ出かける。
駅前にある本屋で、イタリアの本を買った。
本を抱え、近くの神社に初詣を兼ねてお参りにゆく。

おみくじを買っている時に、あの人からのメールが届いた。


『癌が再発。来月オペの予定』

携帯電話を見つめた。
北風で携帯を持つ手が冷たくなるまで。


(上へつづく)

posted by ホーライ at 21:51| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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