2010年09月23日

ウイルス(短編)

最初の患者が出たのはニューヨークだった。

日本では(多分アメリカでも)、それは小さな、遠慮がちの記事だった。

マンハッタンのビジネスマン7人が、ある日、同時に鼻から激しい出血を伴いながら、意識を失った。

7人が運び込まれた病院は同じ病院で、そこでは念のために彼らを隔離病棟に移した。

7人は別々の会社で働いており、ほぼ同時に倒れたことがすぐに分かった。
この時点で、病院は感染症の恐れがあることを当局に報告した。

すぐに7人の共通感染経路が探しだされた。
ただし、その時点ではまだウイルスの同定はおろか、感染症かどうかも不明だった。

新聞の片隅のわずかなスペースに、その第一報は報道されていたのだった。


次の日、謎の病気は全米で500人を超えた。
この時点でアメリカは非常事態を宣言した。
HIVの教訓も有ったのだろう。しかし、医師の中には、過剰な反応だと捕らえる人もいた(結果的に、この医師の判断は後日、間違っていたことが判明する)。

次の週にはカナダ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本でも同じような症状で病院に運ばれた人が数十人単位で報告された。

WHOは世界各国に「警告」を発した。

患者は鼻から出血が続き、絶えず輸液と輸血をしないと出血多量で死亡する恐れがあった。

病気の特徴は鼻の粘膜にある血管だけが脆くなることだった。
鼻以外の体の血管には、なんら異常は見つからなかった。

患者のいずれもが会社や自宅でパソコンに向かっている時に、突然、出血した。
病気の発症率に年齢、性別の差は無かった。


体内で増殖しているはずのウイルスを捕まえようと世界中の科学者が患者の体液を集め始めた。

一方で、患者同士の接触点や共通の媒体探しも始まった。
こちらのほうは、まったく収穫がないと言ってよかった。
患者同士はほとんど面識が無く、共通の場所にも行っていない。

ただし患者が発生する地域に差が出てきた。

南米、アフリカでは比較的感染が少ない。このことから、熱帯地方からの未知のウイルス潜入という考えは捨てられた。

また、郊外よりも都市部、貧困層よりも裕福な層に患者は多発していた。

今のところ死者は出ていないが、世界中の血液不足が心配され始めた。




パリでそのことが発表された。

「今まで、私たちはひ弱でした。また孤立していました。しかし、ここにきて私たちは一体化します。」

世界インターネット学会設立委員長が壇上で話を続けた。

「たとえば、毎日20種類は発生すると言われている“ウイルス”。今までは個人で対応するしかありませんでした。このたびの世界インターネット学会設立にあたり、まず、そのことを検討してきました。そして、私たちは次のことに成功しました。」

聴衆は耳を澄ませ、メモをとっている。

「まず、ニューヨーク、パリ、シンガポール、オーストラリア。この世界4極にインターネット監視用サーバーを設置しました。このサーバーの役目はインターネットの世界を24時間監視し、ウイルスを発見すると、自動的にそのウイルスに対するワクチンを作成し、インターネットに流します。つまり、我々はインターネットの中に免疫システムを作ることに成功したのです。」

聴衆からどよめきがおきた。

「これで、個人はワクチンソフトを買う必要もなくなり、安心してネットライフを満喫できます。」




ベルギーの医師が、それを発見した。
誰もが持っているアデノウイルスの変種だった。
鼻の粘膜だけで増殖できる。

今回の謎の病気の4人を調べたところ、このアデノウイルスの変種が鼻粘膜から検出された。

このニュースはすぐに世界中に流れ、研究者たちは抗ウイルス剤を探し始めた。

一方で、感染ルートは未だに謎のままだった。
どこにでもいるアデノウイルスが、ある日、急に変異したらしい。
それがどこで起こり、どういうルートで世界中に広がっていったのか、わからなかった。





「博士、おかしなウイルスをキャッチしました。」

「おかしなとは?」

「今までのウイルスと違い、サーバーを攻撃するとか、PCに異常に負荷をかけるとか、システムそのものを破壊するというような動きを見せないんです。」

「どんな作用をするんだ?」

「パソコンの画面を不規則に点滅させるようです。ただし、数十分の一秒という早さなので、普通の人は気づかないでしょうね。」

「点滅させる? それだけか?」

「えー、今のところ、こいつがやる悪さはそれだけです。」

「で、ワクチンは出来たのか?」

「はい、マシンがウイルスの一種と判断したので、自動的にワクチンを作成しました。既に全世界に流されています。」

「このウイルスによる被害届は?」

「ありません。」



「博士、奇妙なことが分かりました。」

「なんだ?」

「インターネットで、ちょっと前、『フラッシュ』というウイルスが流行ったのですが、その流行地域と、私たちが治療している「突発性鼻粘膜アデノウイルス」の患者発生地域が奇妙に一致しています。」

「ふーん、それで?」

「さらに、このネットのウイルスは、今ではほとんど消滅しているのですが、その発生時期と消滅時期も、この病気のそれと一致してます。」

「その『フラッシュ』というウイルスはどんなウイルスなのかね?」

「それが、このウイルスはパソコンの画面を数十分の一秒の速さで点滅させるだけなんです。」

「う〜む。」

「調査しましょうか?」

「そうだな。猿で試してみてくれ。」

「分かりました。ネットウイルス保存センターにウイルスを送ってもらうよう依頼してみます。」

「あー、早いほうがいい。」

「ところで博士、ネットウイルスもやっぱり『冷凍保存』しているんでしょうか?」

「・・・保存センターに聞いてくれ。」




ウイルスに汚染されたPCの画面を見た猿10匹のうち6匹が人間と同じ症状を示した。
猿を検査したところ、脳の中の「視床下部」からある種のホルモンが異常に分泌されているのが分かった。

「それがアデノウイルス変異の原因か?」

「えー。通常のアデノウイルスに、このホルモンを与えたところ、見事に変異しました。」

人間でも検査したところ、同じホルモンが通常の10倍以上の値を示していた。

「じゃ、そのホルモンの分泌を抑えれば、ウイルスの変異は防げるわけだ。」

「ええ。その薬は実は既にある疾患の薬として売り出されています。」

「よし。それで治療してみよう。」

 
治療の結果は劇的だった。

そのウイルスはある濃度異常のホルモンが無いと増殖もできなかった。

「博士、これで治療方法は確立したと思います。」

「あー、あとは、どうしてパソコンのウイルスがそんな反応を人間に起こせたのか、という謎が残ったわけだ。」

「それと、誰が何の目的に、という謎も。」




PCウイルスは画面を一定のリズムで点滅させ、人間のホルモンバランスを崩すように設計されていた。

発信元はアジア地域らしい。

インターネット上のウイルスと人間に疾患を起こすウイルスとが融合するのではないかという説も流れた。

これは医学界で(インターネット界でも)一笑に付された。

その後も、「フラッシュ」ウイルスの亜種や、画像の点滅ではなく、一定の周波数の音を流し、人間に影響を与えるウイルスが定期的に現れた。

発信元は、アジアからアメリカ、ヨーロッパと転々とした。

「免疫作成サーバー」は、今では世界20箇所に設置され、WHOが関与するようになった。

ある日、「免疫サーバー」の赤ランプが点滅した。

『警告!緊急!ワクチン耐性ウイルス発生!警告!』





「どんな状況なんだ?」

「はい、所長。ネットに繋がっているDNAコンピューターにウイルスが進入し、PCに使用されているDNAを改変しているようです。」

「で、ワクチンは効かないのか?」

「はい。次々に亜種を自動的に発信し続けているようですし、ワクチンをすり抜けるように自動プログラムが組み込まれていると思われます。」

「ウイルス自身が自分で亜種を作っているのか?」

「そのようです。」

「DNAコンピューターのDNAをどう改変しているんだ?」

「今、その改変されたDNAをWHOに送って解析してもらっているところです。」

「こちらは、とにかく至急、そのウイルスを叩く方策を考えろ。それから、無駄だと思うが、このウイルスの発信元を探知してくれ。」

「はい、今、その両方をやっています。」

「人間に対する被害は?」

「まだ、報告がありません。」

電話がなった。

「所長、WHOからです。」

「はい、もしもし。えーそうです。で、解析結果は? ・・・・・・。人間に対する感染は?・・・・・・。分かりました。」

「所長、WHOからの結果は?」

「ウイルスが改変したDNAは、ペスト菌のゲノムだ。」

「え!人間への感染は?」

「既に各国から報告され始めている。」

「対策は?」

「・・・・・・。」

その時、また赤いランプが点滅した。

「警告!緊急! ワクチン耐性ウイルス発生。警告!」



(終わり)


posted by ホーライ at 22:12| Comment(0) | 短編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(10)

     (10)

海へ向かう船が見える。

緑と青でライトアップされたホテル。
その夜景の前に座っている彼女。

「ここのパスタ、おいしいわね。ピザも。」
「うん。少し風が寒いけれど。味は悪くない。」

ビル・エバンスのピアノが流れる空間と時間を二人で共有する。

「手術は何時から?」
「10時。」
「OK。その時間に私はあなたのほうへ向かって、祈りの言葉を送ってるわね。」
「ありがとう。」
「どれくらいかかるの?」
「オペ自体は1時間もあれば終わるよ。」
「人工声帯はすぐにつけるの?」
「それは、一年後くらいにね。まずは、癌細胞を叩くことに専念しないといけない。」
「そう。」

暗い照明の中で、彼女の瞳が僕を見据える。

「薬は?」
「飲むよ。」
「副作用はあるの?」
「うん、一般的な抗癌剤の副作用がね。毛髪が抜けたり、吐き気とか、下痢とかね。それは薬を使い始めてからでないと分からない。」
「でも、あなたは薬の専門家だから、いいわね。お医者さんに薬の指示を出したらいいんじゃない?」
「そうだね。僕は薬剤師だからね。」
「そうよ。薬に関してはお医者さんより詳しいんでしょ。」

話しながら、彼女の目から涙が流れ、港の光に反射して頬を伝わっていた。
口元に笑みを浮かべながら、彼女は僕を見つめる。

「携帯メールは打てるからいいわよね。」
「病室からは打てないけれど、散歩がてらに病院の外に出て送るよ。」
「どれくらい入院しているの?」
「多分、1ヶ月くらいかな。しばらくは点滴で、それから流動食だ。」
「じゃ、今日は沢山食べて。まだ他にも頼む?」
「地中海風リゾット。」

料理と音楽と夜景と彼女。
時間が一秒ごとに使われてゆく。


「抗生物質も使うの?」
「うん、オペのあとは必ず使うよ。感染病にならないようにね。」

いつもより、おしゃべりな彼女。



----- *** -----



料理が喉を通らない。
テーブルに来たリゾットを彼のお皿に取る。

今日だけは沈黙が怖かった。
彼が「最後の言葉」を言い出すのが怖いから。
私は話し続ける。
彼に質問し続ける。
それにいつものように答えるあの人。
時間が私の心の中で壊れてゆく。


食事が終り、レストランを出る。
海からの冷たい風が、私の涙を乾かしてゆく。

「今日は改札まで送らないわ。そこの公園のところで見送る。」


海の波間に映る街の明り。 海から戻ってくる船。

彼の逞しい腕が、私を覆い尽くす。
抱きしめる彼の体。
汽笛が夜空に響く。


唇を離すと、彼が語りかけてきた。
「今日までありがとう。」
うなずく。 涙が意志とは関係なく流れ出す。

「退院したら、また逢いに来るよ。」
「私のこと、忘れたら承知しないからね。」
「もちろんさ。また、来るよ。メールも送る。」
「指を骨折しないでね。」
「そうだね。……今日は楽しかったよ。じゃ、またね。」
「うん。」

彼が私の体を離し、目を見つめる。
「愛しているよ。いつまでも。」


彼は、そう言うと笑顔で駅へ向かった。

私は彼の言葉を抱きしめながら、見送る。
私は彼の言葉を繰り返し、頭に思い浮かべながら、ここで彼が迎えに来る日を待つ。
携帯電話を持って。



おわり


posted by ホーライ at 22:03| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(9)

    (9)

部屋の時計を見る。
秒針が一秒ごとに時を刻む。

一秒ごとに、自分の声を失う時間が近づいてくる。
一秒ごとに、自分の死が近づいてくる。

夕闇が街の空を染めてきた。
鳥の鳴き声が遠く聴こえ、飛行機雲が空を斜めに切る。

僕の心と体を開放してくれた彼女に告げる最後の言葉を考える。


綾戸智絵が唄う「Let it be」がどこからか流れてきた。
乳がんだった彼女は「生命の力」に気づく。
フジコ・ヘミングも難聴になってから「演奏」が変わる。
ホーキングは言う「病気になって気づいたんだ。自分の時間の貴重さを。」


何も怯える必要は無い。
不完全燃焼するほうが耐え難い。

「なるようになる」

綾戸智絵がシャウトする。
彼女の声が、胸に染み渡るのを待つ。


部屋が夕闇に包まれると、僕は彼女に伝える言葉を考え始めた。
それは「肉声で伝える最後の言葉」でしかない。
僕にはまだ、メールを打つ指が有る。まばたきで意志を伝える人もいる。
言葉を考える脳が有る。

僕にはまだ、夕焼けを感じる視力が有る。
彼女の声を聴く聴力も有る。



声を失うことの哀しみが、夕日とともに沈んだ。


(上へつづく)
posted by ホーライ at 22:01| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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