2010年09月23日

携帯メール(4)

    (4)

あの人の病気のことを、一人で考えていると知らないうちに涙が出てくることがある。

私に出来ることは祈ることだけ。

あとは、携帯メールでいつものように他愛の無い話題をして、あの人が少しでも病気のことを考えないようにしてあげるだけ。
これは、人生のなかの一つの出来事でしかないと思うようにしてあげる。
朝、起きてトーストを焼くように。
夜、眠る前にハーブティを入れるように。

涙を拭き、明るい心に切り替える。
私の心があの人の心に反応してはいけない。




海岸通りの、海が一望できるレストランを雑誌で探す。
二人で、小さな島に行くのもいい。
それも、全ては明日の手術の結果しだいなのか、どうか。
私には詳しいことは分からない。

雑踏の中を歩く。知らない人が私にぶつかる。
人ごみは嫌いだから、人の通らない裏道が好き。

あの人の行為が全て、私に伝わってくることはない。
多分、外来受付けまで出てきてメールを送ってくれる。
多分、入院ベッドの上で、明日の手術を考えている。
そして、海が見たいと答えてくれる。


私に出来ることは、祈るだけ。

裏通りのビルに挟まれた夜空を見上げ、月に祈る。



わずかで貴重な時間に、電車で駆けつけてくれるあの人の行動力が私をあの人に惹きつける。

私が困っていると、私の住む街までやってきてくれる。
いつも笑顔で迎え、笑顔で別れる。

遥かな「のぞみ」なのかもしれないけれど、私はあの人と共有できる時間を独占したくなることがある。
あの人に残された貴重な時間を。

首を振り、ため息をつくと街を歩く。

とにかく手術の結果がどうあれ海を見に行くことを決め、私は電車に乗る。
癌細胞があの人の体を蝕むようなことはさせない。
私には科学の知識も、医学の知識も、薬の知識も無い。
でも、あの人は抗癌剤の新薬を開発していたこともある。
その人が大丈夫だと言うなら、私はそれを信じていく。

「あの人には癌を再発させない。」
死を思うことが、生をよりかけがいのないものにさせる。


初冬の海へ。
襟を立てながら、山から吹き降ろす北風の中を二人で歩く風景を想像する。
ジャズの似合う街並みが好きだと、あの人は言った。
そして
『君と「風の歌を聴け」の風景の中を歩きたい』
とメールで送ってきた。

そこは私の生まれた街にも近い。

……気がつくと、私は恋に落ちていた。


(上へつづく)


posted by ホーライ at 21:47| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(3)

   (3)


仕事も同僚との付き合いも、今まで通りと同じだった。
僕の病気を知っているのは、携帯の電波の先にいる彼女だけ。

彼女は、今までと同じように明るいメールを送ってくれる。

『月と太陽と4月の風。あなたが好きなのはどれ?』

『優しい月の光』

『私も月は好き。でも、明るい太陽の下も好き』

『僕は夏から秋にかけての季節の変わり目も好きだな』

『春よ!絶対に。これから!という感じでしょ?』


……。
いつもの会話が、僕の心を和ませる。


僕の体内で、今でも我が物顔で増殖し、自分の分身を僕の体中に、ばら撒こうと機会を伺っている癌細胞。
笑いは免疫力を高める。

病気は、自分との戦いだということを痛感した。

精神的に参ってしまっては、肉体も負けてしまう。
少なくとも、彼女とのメールでは、病気の話しは二度と出なかった。

毎日、眠る前には癌細胞が消失していくイメージを頭に描きながら眠りについた。
それは間違い無く、生きる目的を考えさせ、自覚させる時間でもあった。

何故、そこまでして病気と戦うのか?
「死」が怖いからだけなのか。

そうではない。

僕の肉体がこの世界から消えたら、逢えなくなる人がいるからだ。
意識の消失で、その人の笑顔が見えなくなる、声が聞けなくなる、言葉のやりとりが出来なくなる。
耐え難い孤独が永遠と続く……。
何故、こんな単純なことに気がつかなかったんだろう。

僕は、その人のために病気と戦う。


ファイバーを使っての癌の切除。
今朝、手術の説明を医師から聞いた。
ファイバーを口から入れ、癌をかきとる。局部麻酔で済むとのこと。
今日のお昼から食事は無し、点滴だけでエネルギーを維持する。
明日の朝9時から手術を行う。

朝が過ぎ、お昼が過ぎ、そして、暗い病室で一人、明日の朝からの手術を思い浮かべ夜を過ごす。
漆黒の闇。
廊下を歩く看護婦の足音。
遠くで聴こえる街の喧騒。酔っ払いの叫び声と女性の笑い声。

じっと明日の朝を待つ。自分の心臓の音だけが聞こえる深夜。

入院病棟は携帯メールも禁止されていた。

夜10時。携帯を持って外来受付けまで行く。
そして彼女からのメールを受信する。

『今度は何処に行きたい?』

『水の見えるところがいいな』

『海?川?湖?』

『海だね、断然』

『了解。じゃ明日までに作戦を練っておくわ。また明日。オヤスミ』

『うん、また明日ね。オヤスミ』


携帯を切り、病室へ戻る。

孤独が支配する闇と冷たいベッドだけが僕を待っていた。

そして、明日を迎える。明日の夕方にはまた携帯が使える。その時に送る携帯メールの文面を考えて眠りにつく。


彼女の存在だけが、僕に生命の炎を燃え立たせる。


(上へつづく)

posted by ホーライ at 21:46| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(2)

     (2)


秋の気配が、知らないうちに忍び込んできた街。
今日の仕事も終り、駅へ向かう道を私は急ぎ足で歩きながら時計を見た。
あと2分で次の電車が出る。
私は足を速めた。

夕暮れの買い物客が多い道を、私は駅へ向かう。
一番星が、そろそろ出るころかしら。
仕事……。
私にとっての仕事。生活の糧を得るため?外との関わり?
まぁ、いいわ。とにかく、今日の仕事もきっちりとクリアした。
偏頭痛さえ来なければ、今日もそれなりの一日として私の中では終わる。


電車の発車ベルが鳴っている。
改札を走り抜け、電車に向かったけれど、目の前でドアは容赦無く閉まった。


フッと思わず出るため息。
私は仕方無くプラットホームをブラブラと歩く。
夕闇が街を包み込んで行く。
一軒、一軒の家から出ている光。
あの光一つに、一つの家族が有る。 光一つ一つに、それぞれの人間の幸福と不幸が含まれていることを私は知っている。
でも、この前までは、それは歓びと哀しみを感じさせない無機質な光として、私の目には映っていた。


携帯が振動した。

『業務終了!今日は一日「会議は踊る」だったよ。狸と狐の運動会(笑)。僕はこれからジムへ。君は? 』

私の体から疲れが消える。

『私も終り。電車を逃しちゃった。本でも読んで次の電車を待つわ。』


私と同じあの人。
私と違うあの人。
「風の歌を聴け」をいつも持ち歩くあの人。

ベンチに座り、ブルーを読む。


……なかなか、本が進まない。
ある病院の総合受付の椅子で居眠りをしていた人。
つい小説のストーリーを自分のことに読替えてしまう癖がついてしまった。
主人公の男女を自分たちに置き換える。

初めて会った日から、まだ数えるほどしかあの人とは逢っていない。
病院の待合室で初めて出会うのも、おかしな出会いだ。
二度目に逢った日の夜に、人通りの中でいきなりキスをしてきたあの人。
それに反応した私。
携帯メールは私たち二人を結ぶ、細い糸。
何色の糸かは、知らない。でも、今は唯一の糸がそれ。

駅のプラットフォームで電車を待ちながら、携帯電話の電波が飛び交っている夜空を見上げた。
一体、何本の糸が走っているのかしら。
澄んだ夜空で月が輝き、星が瞬く。 もう秋が来ていることを夜空は告げている。
私は本を閉じると、やってきた電車に乗った。
あの人のいない家へ帰らなくてはいけない。


携帯メールが届く。

『きみの読んでいる本は何?僕は科学の終焉を告げる本。既に科学は終焉を迎えているんだって。』

親指で返事を書く。

『私はブルーよ。もう読んだ?』
送信。

すぐに届く返事。
『今度、読むつもりだ。面白い?』

『読んでみて。今度逢った時に感想を。』
『了解。』


夜を走る電車は否応無く、私とあの人の距離をさらに遠のかせる。


(上へつづく)


posted by ホーライ at 21:43| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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