2010年09月23日

携帯メール(7)

     (7)


腫瘍マーカーが上昇していた。
一週間置いて二度計ったが、通常の範囲を遥かに超えていた。

MRIの結果、咽喉に小さな腫瘍が見つかった。

北風も入らない妙に暖かい診察室で医師は言った。
「切除しますか?それとも抗癌剤を使いますか? もちろん、切除しても抗癌剤を使います。ただ、切除となると声を失います。」
湿った空気が流れた。
乾燥を防ぐために加湿器を使っているようだ。

「私は切除することをお奨めします。それと放射線照射と抗癌剤をしばらく続けるのが標準的な治療ですね。」


声を失う。
どんな世界が待っているんだろう。

「まぁ、今は人口声帯も有り、訓練すれば意志を伝える位にはなりますから、生活には困らないと思いますよ。」

もちろん、抗癌剤だけで叩くことは無理だというのは知っていた。
多分、僕には選択権は無い。

命と引換えに声を失う。
抗癌剤の治療の苦しさも知っている。
標準的な治療薬で再発したら、今度は治験薬の使用になるだろう。
自分が勤めている会社の治験薬を投与される可能性も有る。


「オペしてください。」
「そうですね。それがいいでしょう。では、今からオペの予定表を調べます。」
医師が出した予定表には、何人かの名前が書かれていた。
さらに「Radi」と書かれている表も垣間見えた。放射線照射の予定表だ。

「来月の14日が空いていますので、その日にしましょう。 入院の準備は看護婦から伝えてもらいます。では。」


外来の別室へ看護婦に連れていから、「入院のしおり」をもとに説明を受けた。
事務的な話しを受け、事務的に答える。



病院の外は新しい年を迎えた街が、いつもの賑わいを見せていた。

『今度の週末に会えるかな?』 携帯のボタンを押す。
携帯が震える。
『いいわ。待っています。』 

絶え間なく流れる車を見ながら、僕は彼女に伝える最後の僕の「言葉」を考えた。


(上へつづく)
posted by ホーライ at 21:54| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(6)

     (6)


新しい一年が始まった。

私がこの携帯を持ち始めて1年。
携帯電話とインターネットで私の人生が変わった。
これまでなら知り合えないような人たちとも知り合いになれた。
そこでの交流を、今のパートナーは知らない。
彼は仕事から帰宅すると新聞を読み、テレビを見て、時間が有ればネットにもつなぐ。
彼のネットを通しての友人を私が知ることもない。

毎日の平凡な人生が嫌いなわけでも、今の生活に不満がある訳でもない。
子供達も徐々に私の手から離れてきている。

新しい人生を考えてもいい。
主婦として母親としての役割が間もなく終える。
妻としての役割がいつ終わるのかは分からない。
そこに終止符を打つつもりが私の心の中に有るのかも分からない。
ただ、あの人との交流も持ちつづけたい。

この関係がいつ終わるのか、どのようにして終わるのか、考えてみることもある。
でも、いつもそれは想像できなかった。



携帯メールをやり取りし、ごくたまに食事をしデートをする。
5年後の生存率にどんな意味があるのかも分からない。
私の5年後?
一年後すら想像できなかった。
あの人と巡り会うことも一年前には分かっていなかったのだから。

自分とパートナーと子供達の年齢だけがはっきりとした数値として分かるだけ。

私の5年後の生存率は、きっとあの人と変わらない。
世界中の人とも変わらない。

5年後の世界に私が存在する確率は不明……。



今年の私の目標は、自分のライフワークを見つけること。
どんなささいなことでもいいから。
私が存在するために必要なライフワーク。

あの人は50歳で会社を辞め、自分の夢を追いかける。
私も少しはそれをサポートできるかも知れない。
でも、私の夢の代わりにはならない。


今年はイタリアにでも行ってみよう。
もう何度か行ったことがあるので友人も多い。
新しい世界を見れば、視野も少しは開ける。
新しい出会いが、また私を新たな世界へ連れて行ってくれるかもしれない。

新しい一年を迎え、まだ活気が戻っていない街へ出かける。
駅前にある本屋で、イタリアの本を買った。
本を抱え、近くの神社に初詣を兼ねてお参りにゆく。

おみくじを買っている時に、あの人からのメールが届いた。


『癌が再発。来月オペの予定』

携帯電話を見つめた。
北風で携帯を持つ手が冷たくなるまで。


(上へつづく)

posted by ホーライ at 21:51| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯メール(5)

    (5)


『オペ終了。フラフラだよ。フルマラソンを走った後のようだ。でも完走したよ。きみが待っているゴールに一番乗りさ。』


24時間ぶりに携帯メールを送信。


『お疲れ様!完走おめでとう!あなたのくったくのない笑顔が目に浮かぶわ。ゆっくり休んでね。』


僕の本当の笑顔を知っている数少ない人。
僕の救助信号を感知してくれる唯一の人。
遠く離れていても。


静かに自分を見つめることが出来た時間だった。
死と対峙した時に、人間は初めて自分のやりたいことを理解できる。

企業での利潤追求の仕事は50歳までに、切上げよう。
それまでには子供達も成人している。
あと10年弱を会社勤めしたら、それから先の人生はフリーで働くという夢。
漠然とした夢だったものが、形として捉えられるようになってきた。

ネット社会は、地域によるデバイドを消失させつつある。
どこで働いていても、ネットの中では自分が情報の中心になれる。

東京で働く必要が無くなれば、ジャズの流れる港町に住み、小さなオフィスで海を見ながら働こう。
利潤追求に囚われ、患者の利益より企業の利益を優先させる会社生活にピリオドを打つ。

ベッドの中で、吐き気に襲われながら、はかない夢を現実化させる方法を考えながら眠りについた。



一週間後、癌細胞の再検査の結果が分かった。
比較的、性質の良い癌だった。
「5年生存率は90%以上です。」
医師は微笑みながら言った。
……それは確率の問題だ。
ぼくが残り10%のほうにいたとしても、不思議ではない。


病院からの帰り道。北風の中を町を歩く。
胃の中まで、風が吹き抜けて行くようだ。
枯葉はもう姿を隠し、町はクリスマスのイルミネーション一色だった。
ジングルベルの歌を聞きながら僕は携帯で彼女にメールを送る。

『僕の5年生存率は90%だって』

『あら、いいじゃない。私の5年後の生存率なんて分からないんだから。
ところで、素敵な海岸沿いのレストランを発見!あとでPCのメールで連絡するわ。』


はかない夢でも、現実化させないといけない。
僕に残された時間を考えると、決して夢を遠くに見てる余裕は無かった。
しかし、それはなにも病気になったからという訳でもない。
本当は、余裕が無いことを自覚したくなかったからかも知れない。

誰もが、自分の時間に区切りをつけて考えたりしないだろう。
明日が永遠にやってくると思い込んだふりをしているだけだ。
それこそ、はかない夢なのかもしれない。

北風の中を僕は地下鉄の駅に向かった。


(上へつづく)


posted by ホーライ at 21:50| Comment(0) | 携帯メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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