2010年09月23日

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    (5)


「あの時どうして、僕が練習している場所が分かったの? メールでは教えてくれなかったけれど。」

コーラを飲みながら、彼女の目を見つめる。

「日記。あそこに書かれていた風景を頼りにしたの。障害者スポーツセンターって都内にいくつもないのよ。」

頷く。微笑みながらミルクティーを飲むと彼女は、窓の外を眺める。



目を閉じる。

目が沁みる。エンヤの音楽が一日中、頭の中に流れていた暑い夏を思い出す。

目を開ける。

 

気がつくと頬杖をついて、やわらかな髪の毛を耳にかけ僕を優しく見つめている。

どうして、そんなに優しい表情が出来るの?

……今まで逢った誰よりも、きみは僕の心を捉える美しさを持っている。

心も、顔もelegantだ。



「海に誘ってくれたね。びっくりしたよ。」

「そう? 海は好きなの。 車椅子の人とは行ったことがなかった。私は泳げないし、体力にも自信はなかった。

でも、どうにかなるわって思ったの。あんまり考えて行動していないのよ、私って。」

「そうかな。」

「でも、夢が大切。夢が明日を作るの。夢と希望が私たちに明日を作らせる。そう思う。だから、私は夢を持っていたいし、あなたにも持っていてほしいの。

そう思ってさ、海に誘った。」

「ありがとう。」



僕は地上に出てきたばかりの蝉。明日を信じて、今をいきる。



(6)



僕のメール。

「どうして僕の練習場所が分かったの? 声をかけてくれれば良かったのに。 僕の練習風景がそんなに良かった?

マネージャーを募集中だから、参加してみない?

海は一度、女性と行ったことがある。もちろん、泳がなかったけれどね。 彼女の自動車に乗せてもらった。

でも、トイレに行けなくて苦しんだよ。いつも人と外出するときは、水分を取らないようにしている。

けれど、あの日は暑かったので、つい飲みすぎたんだ。その彼女も良くやってくれたんだ。それまではね。

だけど、どうしてもトイレには付き合えないってさ。おかげで、僕は膀胱炎にまでなっちまった。

彼女は練習にもよく来てくれた。レースの応援にもね。 でも、結局、親の反対やらがあって、それっきりさ。

だから、そんなに簡単に、誘わないでね。慰めならいらないしね。

きみはエンヤが好きなんだ。僕は知らないけれど、今度、レンタルショップに行ってみるよ。では、また。」

 

僕の日記。

“ 暑いね。 今日なんか、暑すぎて蝉が道路でのた打ち回っていたよ。

38度だ。信じられるかい? 扇風機をかけても熱風が来るだけだ。

僕が50Km走破すると5Kgは体重が減るんだ。みんな汗となって流れていく。 練習中に顔がざらざらしてくるんだ。

塩が出ているんだね。僕の顔は死海か?

軽井沢でのレースが決定! 9月10日だ。 鉄腕レースじゃないんだからさ、今日のような過酷な暑い日にならないでおくれー!! ”

 

彼女のメール。

「“マイサリ”の件を、上司に言ってみました。正攻法ではだめね。

既に患者団体とは示談が10年以上前に済んでいる。これ以上は、会社の責任ではない、と澄ました顔で言っていました。

では、このデータを公開してもいいのですか? と聞いたらウロタエテいました。データはもう自宅に持ちかえってます。

前にも言ったとおり、無料でホームページを開設できるサービスを利用して、データを公開しようかと思います。

なんのために、公開するの? ですか?  私が出来ることって、それくらいだから。

お給料を貰っている会社を売るようだけど。でもいいの。きっと、このデータを公開したところで何も変わらない。

私がクビになるくらいかな。

エンヤは、心を穏やかにしてくれるので、大好き。アイルランドの歌手で、お父さんはパブを経営しているのよ。       かしこ」

 

どうやら、彼女は僕の忠告なんて聞く耳を持ってないようだ。



エンヤを借りてくる。不思議なサウンド。透明なボーカル。僕の体と心を包み込む音楽。力強く、静かに歌うエンヤ。

それは、彼女のメールに書かれた言葉だったのかも知れない。

端整な顔をしたエンヤ。



目を開ける。

「エンヤって、端整でエレガントな顔をしているよね。」

「うん、私、歌も好きだけれど、彼女の顔も好きなの。」

「きみのほうが、エンヤよりもずっと綺麗でエレガントさ。 いつも、僕はきみの顔を見てボーとしているので、大切なことを聞き逃しているんだ。」

「美化しすぎ。」

「これでも、控え目に言っているんだけれど。」

微笑む彼女の美しさは、僕に森の朝を思い出させ、暖かな春を思い出させ、夢を忘れてはいけないことを教えてくれる。

目を閉じる。





炎天下、車椅子でスポーツセンターに向かう。

筋肉トレーニングのお陰で、1回のストロークで移動距離が長くなってきた。長距離は体力勝負だ。

これからは、持久力をつけるために、長距離をできるだけゆっくり時間をかけて走破する練習に変更する。

スポーツセンターの前にある長いスロープの車椅子用歩道橋を渡る。練習なんかより、ここが一番きつい。

やっとの思いで歩道橋を渡り、スポーツセンターに向かう。

日傘が見える。白い日傘の下に、ピンクのポロシャツ。色褪せたGパンに白いスニーカー。笑顔で僕を見ている。

近づくと、日傘をたたみ、走りよってくる。

「こんにちは。暑いですね。あっ、はじめまして、かな。メールでは何度も会っているのに変ですね。」

僕を涼し気に見下ろす。

「こんにちは。良く分かったね、今日が練習日だって。」

「だって、受付のところに練習日が貼ってあるんですもの。」

「そうか。そうだね。」

「タオル持ってきました。それと、麦茶。」

「ありがとう。」

「向こうの日陰のベンチで、練習が終わるまで本でも読みながら待っています。」

「じゃ、練習の後で。」

彼女は木陰に走り、ベンチに座ると白い袋からアイスを出し僕を見た。

イタズラした子供が親に見つかった時のように彼女は笑った。

そして、本を広げるとアイスを食べ始めた。

信じられない思いで僕は彼女を見た。会社をクビになることなんて、なんとも思ってないのだろうか?

 

1時間半の練習を終わり、スポーツセンターの外に出る。

彼女が出迎えてくれる。

「ホント、あのコーチ、素敵ですね。いくつなんだろう。」

「31歳。僕より5歳下。」

「ちょっと、練習を覗いてみたの。練習の時は、いつもあんなに厳しいんですか?」

「そうだね。だから、このスポーツセンターからパラリンピックに何人も選手が出ているんだ。」

「ふ〜ん。ハイ、タオル。」

「ありがとう。」

薄いブルーのタオルを借りて、顔の汗を拭く。石鹸の香りがする。

「洗濯して返すよ。」

「あら、いいのよ。洗濯は大好きだから。」

クラクションを鳴らしながら、コーチが運転する赤いファイアットが僕たちの隣りを通り過ぎていく。

「チャオ!」

コーチが僕たちに手を振りながら去っていく。

「いいなー、あんなふうに成りたいな。」

彼女が、車を首で追いながらつぶやいた。

「喫茶店にでも行く?」

「あの日影がとっても気持ちいいですよ。あそこで麦茶でも飲みませんか?」

僕と彼女は大きなポプラの木の下で涼を取った。

 

「これが、動物実験のデータです。これが、障害児が生まれる確率を求めた計算結果。

ね、妊娠初期で“マイサリ”を使うと、ほとんど流産するか、奇形のマウスが産まれているでしょう?」

A4の紙に打出されたそれは、僕には数字と英語の略語の羅列にしか見えなかった。

これが、僕の人生を変えたデータ? 全国の5000人の人間の人生を狂わせたデータ?

この数字の羅列は現実味が無い。この数字には、なんの痛みも悲しみも感じない。 ただの数字だ……。

その紙と彼女の顔を何度も見比べると、僕はため息をついた。

彼女の差し出してくれた麦茶を飲む。

「意味が無いよ、こんな数字に。こんな数字を世の中に出したところで、僕の体は変化しない。誰も喜ばないと思う。

きみは、クビになっても困らないの?」

「そうね、……それはまた後で。公開するかどうかは、また後で考えます。

それよりも、このデータをあなたに見せたかったの。」

「どうして?」

「あなたの体は、お母さんのせいでは無いことを言いたかったの。

これは製薬企業の怠慢と社員の馴合い、科学者の思い上がり、ありとあらゆる無責任の産物かもしれない、と思ったの。

私は、それに加担したくなかった。 まぁ、それはどうでもいいの。

とにかく、あなたのお母さんのせいではないことだけでも、分かってほしかったから、持ってきた。」

両手の指を擦り合わせながら、うつむいて話す彼女。

タバコを吸いながら、僕は自分の足を見る。



「私には何もできないわ。どうして“マイサリ”が障害児を作ってしまうのか、本当のところは理解できない。

普段、会社で仕事をしていても、意味の分からない言葉ばかり聞かされて、ほとんどコンプレックスの固まり。

まわりのみんなは、私なんかより、ずっと、とても頭が良く見えるわ。

だけど、私にだって分かることがある。私の勤めている会社の製品のせいで、あなたが車椅子に乗っている。

それは、事実。でしょ?」

「そうかもね。」

蝉が鳴いていた。7年の地中生活を終え、地上に出た最後の夏。僕の7年間と同じだ。

「私に何ができるか、それを考えたの。私にできること……私にだってできることは有るはず。

それは、一体、誰のせいであなたが車椅子に乗っているのかを、調べること。

少なくとも、あなたのお母さんのせいでは無いことを証明したかったの。お母さんはお元気?」

「7年前に、癌で死んだ。」

「そうだったの。」

「おふくろは、ずっと僕に謝っていたよ。私があの時、薬さえ飲まなければあんたの足は普通だったのに、ってね。」

「違うわ!!」

彼女は、麦茶の入ったコップを落として立ち上がり、僕を見下ろした。

 

(上へつづく)

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    (3)


夏になると、僕は泳ぎたくなる。でも、夏の海とプールは僕には縁のない話しだった。

エネルギーを発散するために、僕はロードレースを選んだ。

北海道で毎年開催される「サロマ湖車椅子100kmロードレース」が目標だ。

去年は50Kmに出場した。そのレースでは、左手の故障と手のひらの「まめ」に泣かされた。

腕力をつける、これが今季の課題だ。

特に左手。

左手の親指と人差し指に力が入らない。昔、手首を切った後遺症だった。

手術で腱を繋いだが、今だにつっぱり、二本の指が思うように動かない。

キーボードを叩きすぎるとすぐに指が動かなくなる。

 

今年から、ベンチプレスを増強した。週一のコース練習でも、上半身をバランス良く体重移動に使うよう心がけた。

流れる汗だけが、僕の自己満足だ。誰の助けも要らないし、誰かに助けられるのが嫌いだ。

レース仲間とも、滅多に口をきかない。僕は心を閉ざす。おあいそ笑いが煩わしい。

 

日記。

“ 今日は車椅子で40Kmを走破したよ。

今年の夏は、軽井沢で80Kmに挑戦するんだ。

そして、秋には北海道で100Kmだ。サロマ湖の周りを100Km! これが僕の夢。

いつもは、東京の西にある障害者スポーツセンターで練習している。最高に美人のコーチがいるんだ。ふふん♪

昔の映画でランナーが海岸を走る場面が有ったね。イギリスの映画でさ。題名は忘れたけれど、音楽が良かった。

コーチは、あの音楽が好きでね、いつもプレーヤーから流しながら練習を見ているんだ。

最高だよ。 ”

 

彼女からのメール。

「“マイサリ”の影響は、特に妊娠3−5ヵ月で大きく出るというデータがありました。

しかも、それは、販売前から分かっていたようです。

企業秘密かも知れません。マウスのデータですから、すぐに人間にも影響するとは当時は考えなかったのかも知れません。

昨日の映画のタイトルは「炎のランナー」。私は「長距離ランナーの孤独」という小説も好きです。 かしこ 」

 

企業秘密? マウスのデータ? どうして、そこまでやってくれるのだろう?

 

僕からのメール。

「いつもメールをありがとう。でも、どうして、そんなに一生懸命調べてくれるの? それに、企業秘密だって?!

大丈夫かい? 繰り返し言うけれどね、僕は本当に、本当に今ではなんとも思ってないんだ、この体のことは。

おふくろのことを悪く言うのは眠れぬ夜だけだよ。だから、そんなに無理をしなくてもいい。

それよりも、きみの好きな映画について、もっと書いて送ってください。では、また。

PS.僕も長距離ランナーの孤独は好きです。」

 

日記。

“ 昨日の映画のタイトルが判明! 「炎のランナー」だ。う〜ん、そうだったね。懐かしいよ。時計の鐘が鳴り終る前に中庭を1周する場面。

沢山の人から、タイトルを教えてくれるメールを貰った。ありがとう!

暑くなってきたね。僕は水の中には入れないけれど、みんなは、楽しんでいるかい?

海辺でのデートはどうだい? うまくいったかな?

湘南は今日も渋滞だったね。サザン オール スターズが誘う甘い世界に二人で行けたかい?

さー、今日の出来事だ。

アスファルトも溶ける歩道は、車椅子を利用している僕らには「熱波」の源だ。

みんなより、熱波の源に近いところを移動しているんだぞ。

お陰で僕は、今日もイオン補給飲料を飲み続けだ。

手のひらも汗ばんで、火傷しそうだよ。ところで僕がロードレースを選んだのは……”

 

その日の日記を書くと、僕は「長距離走者の孤独」を読み、炎のランナーのテーマ曲を聴きながら眠りについた。

一人でも寝苦しい暑い夜だった。朝方まで、寝返りばかりをうって眠れなかった。

もし、あの製薬会社がマウスのデータを秘密にしていなかったら、僕の足は普通だったのだろうか?

もし、おふくろが薬を飲まなかったら、今ごろは恋人と海の見えるホテルの部屋で星空を見ていたのだろうか?

波音が耳元に響いてくる。一人で朝を迎えるのが怖い。 一生誰にも愛されないのかも、と思うと泣き出したくなる。

 

誰も僕を好きにはなってくれない。僕は誰も好きになんかなれない。

 

(4)

 

彼女からのメール。

「マウスで障害児が産まれることは、繰り返し実験で確かめられたようです。だから、会社は“確信犯”だと思います。

このデータを公にすれば、きっともっと多くの賠償金が貰えるのではないでしょうか?

私がこのデータをインターネットで公開するというのは、どうでしょう? あっ、これは聞かなかったことにしてもらっても構いません。

あなたをこんなことに巻込むのは良くないですね。

私の好きな俳優はロビン・ウイリアムス。好きな音楽はエンヤ。 好きな食べ物はアイス。乙女座のA型よ。

頑張り屋のあなたなら、水泳もできるのでは? 私は泳げないけれど、応援ならできます。

素敵なコーチにはなれそうもないけれどね。   かしこ」

 

僕からのメール。

「メール、読みました。マウスの実験の件、驚きました。でも、驚いただけです。

インターネットに公開するのはいいのですが、もし、きみが秘密を漏らしたことが、会社にばれたらまずいでしょう?

賠償金も、僕はそんなに欲しくありません。

賠償金が増えたところで、足は治らない、ね? そうでしょ?

それよりも、きみが困ったことになるほうが心配です。

だから、もし、僕のことを考えてのことだったら、結構です。何度も言うけれどね。

そんなことをやるより、代わりに、どうぞ困っている車椅子の人がいたら声をかけてやってください。では、また。

PS. 水泳は無理です。僕の体にはそんな機能がありません。」

 

日記。

「僕はいつも赤いヘルメットをかぶって練習してる。

最近は、軽くて丈夫な素材で出来た長距離レース用車椅子が売っているんだ。

それでもってさ、その車椅子が目茶苦茶高いんだよ。こらー! 障害者用の車椅子なんだからもっと安くしろ!!

いくらレース用の特別仕様だと言っても、ちょっと高すぎないか?!

でも、まぁ、しょうがないかな。こんな車椅子を作っている人も全国でたった一人。

需要と供給のバランスから言っても高くなるよね。贅沢の極みだ。

今日の筋肉トレーニングの練習ではベンチプレス50kgを30回。ヒィーヒィーだよ。

コーチはいつもの青いTシャツに、ピンクのジョギングパンツ。 いつものように最高だ!

暑いね。トレーニング室はサウナのようだった。近くの大学のプールでは水泳部が合宿をやっているようだった。

駅の三角屋根が入道雲を背にしてた。夏、真っ盛り……。」



彼女からのメール。

「薬の承認申請には、現在では、催奇形成試験(さいきけいせいしけん と読むのだそうです)のデータを出すことになっているようです。

これは、妊娠中に薬を飲んだ時に奇形児が産まれるかどうかの試験です。

“マイサリ”の頃はこの試験データの提出は義務づけられていなかったとのことです。

ただ、製薬会社では自主的に、この試験をやっていたようね。

その後、いろんな薬で、“マイサリ”のような薬害が有って、このデータの提出が義務づけられたそうです。

どうして、初めから、こうなっていなかったのかしら。

試験データを公開することは、ただ今、考え中。

“マイサリ”のために、あなたのような方が日本に5000人はいらっしゃるのです。

会社では、とにかくこの患者さんたちが、成人するまで毎年賠償金を支払っていました。

でも、皆さん、今は成人になられて、賠償金が支払われていないのでしょ?

もし、賠償金が貰えたら、長距離レース用の車椅子も買えるのではないかしら?

きっと、これも余計なお世話ね。

でも、とにかく、こうしてこの会社でこのまま働いて確信犯の片棒をかつぐのはイヤ。

インターネットで、障害者の方のスポーツやパラリンピックに関連するサイトを見つけました。

下記がそのURLです。あなたと同じような方が、水泳の日本代表として頑張っています。ご参考までに。

http://web.archive.org/web/20020105224854/http://www.jsad.or.jp/

今週のお薦めの映画は、「いまを生きる」。私の好きなロビン・ウイリアムスが主演です。

彼はいつも優しい声で話すの。彼の笑顔が好き。     かしこ」

 

日記。

「僕は水泳選手として、日本代表選手になりたいんじゃないんだ。

みんな、誤解しないでくれ。

ただ平凡に、海に行って砂浜を恋人と歩きたいんだ、手を繋いでね。

ただ普通に、プールサイドでアイスクリームを食べたいだけさ、水着でね。

車椅子ではトイレに行けないプールが多い。

そもそも、デートの最中にトイレに行くにも、誰の手を借りればいい? 恋人に?

出来る訳が無い。

トイレで誰が僕を支えてくれる? 恋人が?

もう、いい。明日はいつもの通り、障害者スポーツセンターで筋肉トレーニングだ。

夏はサザンオールスターズ、冬はユーミン。

スキーもいいよね。二人でペンションに行ってね。

車椅子が使えるペンションが全国に一体、何軒あると思う? みんなは、知っている?」

 

彼女からのメール。

「あなたの笑顔は素敵でした。ロビン・ウイリアムスに負けないくらい。

赤いヘルメット、お似合いでしたよ。コーチもあなたがおっしゃるようにとても素敵な方ね。

(私には勝てそうもないかも。^.^)

あなたの上半身は筋肉の固まりで、とても逞しく思えた。

汗だくのあなたを見て、今度はタオルを持参しなくちゃ、と思いました。

車椅子かっこいいね! あんなにスポーティなものだとは知りませんでした。

いつ軽井沢で80Kmのレースがあるんですか? 絶対に、応援に行きます!!

プールでも、海にでも行きませんか? ……私も自信がないけれど。      かしこ」



(上へつづく)


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e-mail(2)

     (2)

 
「私は製薬会社に勤めています。私の会社が作っていたのが、“マイサリ”です。

私が産まれる前の話です。でも、今、私はその会社に勤めています。

会社の仕事でインターネットを検索していたら、偶然、あなたのホームページがヒットしました。

そして、あなたの日記を読みました。

実は、私は薬が専門ではありません。私は英文科を出ています。

だから、どうして私の会社の薬があなたに影響したのか、正直なところ分かりません。

これから勉強します。そして、どうしたらいいのかを考えます。

勉強したら、また、メールを送ります。あっ、お忙しいでしょうから、お返事は結構です。かしこ」

可能な限り、僕は彼女からのメールに返信した。

でも、この最初のメールにだけは困った。「どうしたらいいのかを考える」?

どうするつもりなんだろう? 僕自身はどうして欲しいのか、さっぱり分からなかった。

 

僕のメール。

「メールをどうもありがとう。そうですか、“マイサリ”の会社にお勤めですか。

僕のために“どうしたらいいのか”を考えて頂けるとのこと。

僕には“どうしたらいいのか”という選択肢が有るようには思えませんが……

でも、お心づかい、ありがとうございます。

また、日記の感想をお待ちしています。」

 

日記。

“ 今日、メールを貰った。この日記の読者らしい。なんだか、僕の生い立ちと関係がありそう?

勉強したら、またメールをください。待っています。

そして、いつも、この日記を読んで頂いている皆様、メールをありがとう。全部、目を通しているよ。

ところで、今日の健康診断で、面白いことが有った。

心電図の技師のお姉さんが、僕の足首のところまで電極を苦労して引張りあげていたときだ。

(僕の“足首”はみんなより、ずっと上にあるんでね。)

そのお姉さんが、感嘆詞とともにこう言った。

「あなた、お酒が飲めないでしょう?!」

「どうして、分かるんです? 心電図が真面目だから?」

「ハハハッ、ほら、腕が真っ赤よ。」

採血のためにアルコール綿で腕を消毒したが、その跡が真っ赤になっていた。

僕は動く“アルコール検知管”だ。君は? ひょっとして動く“アルコール分解酵素”かい?

ここで、クイズだ…… ”

僕のところには、彼女のメールがただ一通届いているだけだったが、指が「皆様」と打ってしまう。



彼女のメール。

「こんにちは。

“マイサリ”は、本当は不良品だったようです。 あの薬はラセミ体だったとのことです。ラセミ体というのは……」

2通目のメールが次の日に届いていた。勉強家なんだ、彼女は。

 

彼女のメール。

「ラセミ体というのは、右手の化合物と左手の化合物が混ざっているものを言うそうです。

本当は、同僚に聞いたので、このへんのことは良くわからないの。

とにかくラセミ体は同じ化合物でも、右手と左手のように重ねあわせても、全く重ならないものを言うのだそうです。

“マイサリ”は右手と左手があったけれど、そのうち、「左手の“マイサリ”」だけが、「問題有り」だったそうです。

でも、あの当時は、まだ科学が発達していなくて、それが分からなかったの。

もし、右手の“マイサリ”だけを取出すことができ、あなたのお母さんがその右手のほうだけを飲んでいたら、良かったのにね。

今では、右手の“マイサリ”だけを作ることも出来るそうです。

また、メールを出します。昨日の日記に書いていたクイズの答えは“カサブランカ”。かしこ。」

 

ふ〜ん、映画が好きなんだ。

「夕べはどこにいたの?」

「そんな昔のことは忘れた。」

「今夜は何をしているの?」

「そんな先のことは分からない。」

 

僕のメール。

「“マイサリ”のこと、ありがとう。薬に右手と左手があるなんて知らなかったな。本当は、どんなものなのか想像できないんだけどね。

映画が好きなのですか?どんな映画が好きなの?今度は映画のことも教えてください。では。」

 

日記。

“ 夕べは、蒸し暑かったね。みんな、眠れたかい?

そう、OK。僕も大丈夫、いつもの通り爆睡さ。

クイズの答えを送ってくれた皆様、どうもありがとう。

正解は「カサブランカ」だ。正解の人には、プレゼントとして、“映画で覚える英語”サイトのURLを送るね。

ところで、薬にも右手と左手が有るなんて、知っていた?

僕はもちろん知らなかった。

どうやら、僕の足が短いのは、「左手の“マイサリ”」のせいだったらしい。

僕はてっきり、意思の弱いおふくろのせいだと思っていたよ…… ”

 

彼女のメール。

「昨日の日記に、抗議します!!

あなたの体は、お母さんのせいではありません。お母さんは、どこも悪くない。

あの当時は、妊娠中に薬を飲むと障害児が産まれるなんてことは、誰も知らなかったのよ。

だから、あなたが産まれる瞬間まで、あなたがどんな様子で産まれてくるのか、お母さんも知らなかったはず。お医者さんにだって。

「意思が弱い」こともないと思う。誰だって、苦しいときには、薬を頼ると思います。

絶対に、あなたのお母さんは、悪くない!!……悪いのは私の勤めている会社かもしれません。調べてみます。

映画は好き。最近はビデオで見ています。なかなか、映画館に行く時間がないのが寂しい……。かしこ」

 

僕は、ずっとおふくろを怨んでいた。

おふくろさえ、あの時、薬を飲まなければ僕は別の人生を歩いていたはず。

製薬会社を怨んだことは無かった。

調べる?  一体、何を?

調べても、僕の体がどうにかなるものでもない。

 

僕のメール。

「おふくろは、僕のおふくろです。僕が30年以上どう思ってたか、あなたには理解できないのでは?

それに、今更、“マイサリ”のことを調べても、どうなるものでもありません。あなたの貴重な時間を無駄使いするだけだと思います。

大丈夫、僕はあなたの会社のことなど、どうも思っていませんので。

ただ、あの時、おふくろが薬を飲むことをちょっと我慢してくれていたら、と思っているだけです。

お心づかいは、大変ありがたいですが、そこまでやって頂かなくても結構です。では。」

 

日記。

“ 親の恩は、山よりも高く、海よりも深いってね、昔の人は言ったものです。

でも親が自分の苦痛から解放されるために、子供に不幸を与えてもいいのかね。

さて、今日の新聞から「車椅子」用の高速バスが登場! ――遅い! 遅いよ。公共の乗り物が…… ”



もちろん、彼女からは抗議のメールが届いた。プリントアウトすると、A4で2枚だった。

返信はどうしたものか。きっと、どう書いても理解してもらえないんだろう。

車椅子の修理に出かけよう。僕の夏は例年通り、ロードレースの練習で終わるだろう。

本格的なレースの前にスポークの修理をしておこう。

滲む汗を拭きながら、街の歩道を車椅子で身体障害者スポーツセンターに向かう。

 

夏は僕が嫌いな季節だ。

つづく 

【注意】

これは完全にフィクションである。映画名、音楽名、俳優名、小説名は実際に存在するものだが、「マイサリ」は実存しない。
「マイサリ」と類似する名称があったとしても、偶然である。
ただし、「サリドマイド」という薬により、奇形児が産まれた薬害事件は実際に有った。
二度と同じ悲劇が起こらないように。二度と繰り返しませんように。


(上へつづく)


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