僕たちが長年研究してきたリウマチの新薬がこれで完成する。
今から7年前に始めたリウマチの新薬開発プロジェクト。
それは暗礁に次ぐ暗礁だった。
そして最後の突破口が見出されないまま、会社からあと2年という期限が提示された。
リウマチプロジェクトの最後は、過去のあらゆるリウマチに関する文献漁りにかけられていた。
僕たちがコンピューターを駆使してデザインした新薬候補には、ある特徴があった。
それは、ある種の金属がその薬の効果を高めるのだ。
昔から、リウマチには「金」が薬として使われていたから、あながち不思議では無かったが、最も効果が高い金属を探すのが、僕たちの最後の仕事だった。
今のままでは、現存する薬の効果とほぼ同じなのだ。
何故、リウマチに「金」が使われるようになったのか。
コッホの時代、リウマチも、もしかしたら結核からくるのではないかとの考えで、結核に少し効く金療法を試したところ、リウマチが実にみごとに軽快した例が出てきた。
これが金療法の始まりだ。
以来、いろんな金属と化合物が試されてきた。
その中でも、僕たちのチームが発見したものが一番有望だろう。
しかし、決め手となる金属がまだよく分からない。
そこで、ありとあらゆるリウマチ文献漁りとなったわけだ。
ある若手研究者がグーグルを使って、片っ端から「リウマチ」でヒットしたサイトを調べてみた。
すると、レオナルド・ダ・ヴィンチが「病いに苦しむ婦人を描くラファエロ」という絵を描いており、その「病い」がどうやら「リウマチ」らしいことが分かった。
「それで?」
「それで・・・・・・、実はその絵が今、東京に来ているらしいんです。」
「それで?」
「なので、あの・・・・・・見に行きませんか?」
「わらを?」
「は?」
「藁をもつかむ思いだな」
「はい、まぁ、そういうことです。」
その絵は、なんとも奇妙な絵だった。
病いで苦しんでいる婦人のベッドの前でラファエロがキャンバスにむかって、その婦人の姿を描いているのを、ダ・ヴィンチが絵にしているのだ。
キャンバスの中にまたキャンバスがある。
何故、ラファエロは病気で苦しむ婦人の絵を描こうとしたんだろう?
それを、どうしてダ・ヴィンチは絵にしたのだろう?
中世の暗い部屋の中で小さな窓から光が差し、女性が痛みに顔を歪めている。
それを射抜くようなまなざしで見つめるラファエロの横顔。
その前にあるキャンバスの中にも病気の女性が・・・・・・。
「不思議な絵ですね。」
「まったく」
「なんで、ダ・ヴィンチは、こんな絵を描いたんでしょう?」
「いい質問だ。今まさに、きみに聞こうと思っていた質問だよ。」
僕と若手研究者は、しばらく絵を見つめていた。
暗い絵の前にいるのは僕たち二人だけだった。
美術館に併設されている喫茶店でコーヒーを飲んだ。
「結局、藁は藁だったな」
「そうですかね? そうですね。特に新しい情報は見つかりませんでしたね。」
画家は時に奇妙な絵を描くものだという感想だけが、二人の頭の中を占めていると僕は思った。
「でも、あのベッドの足元に置いてあった小瓶が気になるな」
「ん?足元に小瓶?なかったと思うけれど」
「ありましたよ、婦人の足もとに」
「足元? 女性の下半身はラファエロのキャンバスで隠れていただろう?」
「あ!先輩、意外と注意力散漫ですね。」
「あったっけ?小瓶」
「ラファエロのキャンバスの中に描かれた婦人のほうの足元に小瓶が2個あったんですよ」
「そうだっけ?」
「そうなんです。あの瓶の中には薬が入っていたと思いませんか?」
「……」
日本で液晶が開発された理由は、アメリカの研究所に行った日本のテレビ局が放送した番組に研究者の机の小瓶のラベルの化合物名がテレビに映ったからだ。
「もう一度、見に行こう」
確かに、ラファエロが描いているキャンバスの中には、小瓶が2個描かれていた。
ラベルには文字らしき模様も見られる。
「この文字を写せ。」
僕と若手研究家は、ラベルの模様を手帳に書き写した。
小さな模様なので、絵のすぐ近くまで顔を近づけないとよく見えない。
「何語でしょうね? 英語でないことは間違いありませんね。」
「イタリア語かラテン語だろうな。」
二人で書き写し、メモ帳をポケットにしまいこんだ時に、女性の声がした。
「絵にインクが飛ぶといけませんので、万年筆は美術館で使わないでください。」
振り返ると、美術館員らしき女性だった。
「すいません。もう大丈夫です。」
「気をつけてくださいね。ところで、絵に何か?」
眼鏡を人差し指で持ち上げ、その女性が聞いた。
「この瓶のラベルの文字があまりに素晴らしいもので。ところで、なんと書かれているか、ご存知ですか?」
女性は眼鏡をさらに持ち上げ、絵に顔を近づけ、しばらく眺めていると、顔をあげた。
「ここは美術館で、書道展ではありません。」
彼女の言うとおりだった。
「だめですね。」
「そうか。」
「英語ではもちろんなし。イタリア語でもラテン語でもない。ポルトガル語、スペイン語、み〜〜んな違いました。」
「やっぱり単なる模様なのかな?}
「そうかもしれませんね。」
「あきらめるかな・・・・・・。しかし、何故、ダ・ヴィンチはあんな絵を描いたんだろう」
「彼は芸術家であると同時に科学者でもありますよね。」
「そうだ。」
「その科学者としての気持ちが、将来は病気の苦しみがなくなって欲しいということで絵を歴史に残したのではないですか」
「つまり、彼は我々に、それを託したいために絵を描いたということだ。」
「そうなりますね。」
「・・・・・・彼の願いを叶えようじゃないか。」
「はい!」
ダ・ヴィンチの絵を見に行ってから空白の2ヶ月が過ぎた。
我々はコンピューターを使ったドラッグデザインを駆使し、最適の金属を探し続けた。
もちろん、文献漁りも続けている。
ルネッサンスの万能科学者の願いをかなえるために、いや、リウマチの痛みに苦しんでいるために、そして、我々のプロジェクトチームの存亡にかけて、一刻も早く薬を完成させたかった。
リウマチだと思われる病気に対する各地の民間療法、伝承、いいつたえ。
あらゆることを調査した。
人間は過去、梅毒から結核まで、全ての病気に対して、なんらかの治療を試みてきた。
植物はもちろんのこと、動物、魚、爬虫類から鉱物まで、試してない分野は無いとまで言える。
時に、カビが助けてくれたり、薬草の根が効いたりしながら、今の薬物療法が成り立っている。
呪文とトカゲの尻尾の延長に我々はいる。
ゲノム科学の普及により、より戦略的なドラッグデザインができるようになったとは言え、まだまだ天然のものから薬が見つかることは多かった。
我々はやっと大海に出た若い水夫なのだ。
休日、レンタルビデオで「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」を借りて、見る。
秘密のカギを解く場面がその番組の中にあった。
彼は紙を裏返して透かして見ると、普通のイタリア語になるような文字を書くのが趣味だった。特技とでもいうか。
その画面を見て、僕はすぐにメモを裏返してみた。
なんだか、イタリア語に見えないでもない。
さっそく、若い研究家に電話して、そのことを告げた。
彼はすぐにイタリア語が使える友人の所へ飛んでいった。
休日にのんびりビデオを見るのも、まんざら捨てたものではないようだ。
「結局、金属2種類とその配合比率が決定打でしたね。」
若手研究家が実験結果を見ながら言った。
ダ・ヴィンチの絵からメモした「逆さ文字」はイタリア語で2組の数字を表していることが分かった。
1つの数字は原子番号、もう1つは配合の比率だろうということは容易に想像できた。
その金属と比率はコンピューターもはじき出していたということが後日分かるが、そこにたどり着くには2年以上かかったかもしれない。
合成された薬は副作用は今までの半分以下。効果は20倍以上に飛躍していた。
僕は早速、臨床試験に進むため、開発会議にかけた。
多分、来年の今ぐらいは、業界が驚愕するようなリウマチの薬ができることになるだろう。
「それにしても、不思議なのが・・・・・・」
「分かっている。俺も今、それを考えていたところだ。」
何故、レオナルド・ダ・ヴィンチは当時未知の金属を知っていたのか。
未知の金属を知っていただけでなく、「原子番号」まで知っていた。
そして、それがある種の有機化合物と合体されるとリウマチに良く効くことを何故、知っていたのか。
「タイムマシンでも発明していたんでしょうかね?」
「そんなことはないだろう」
しかし、そうとしか考えようがないことだ。
歴史上の天才たちは、時に、既成概念の積み重ねから導かれること以上の発見をしているような気がする。
彼ら・彼女らは「ひらめき」の瞬間に「未来」を覗いたのもかもしれない。
過去の思考は文字や伝承として連続して現在に繋がっているが、ひょっとして、未来の思考も現在と連続しているのではないだろうか。
神から許されたごく一部の人たちだけが、その未来の思考へワープできるのかも知れない。
意思、思考は既に決められた路線があり、僕たちはそこにのっかって科学を発展させている、ということは言えないか。
「しかし不思議ですね。」
「まったくだ」
「そうそう! このデザインの意味が分かったので、例の美術館の眼鏡の女性にも教えてやったんですよ。」
「なんて言ってた?」
「『そのデザインの意味が、たとえ分からなかったとしても、ダ・ヴィンチの絵の価値は変わりません』だそうです。」
またしても、彼女の言うとおりだった。
(終)
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