冷蔵庫の唸り声しか聞こえないリビングで僕は、思いつきの詩や小説を書いていた。
それをどうこうするつもりはない。
ただ「作業」として、この半年繰り返していた。
止められないのだ。
精神科医に相談したが、「寝不足にならないならいいでしょう」ということだ。
いいのだろうか?
こんな無意味な作業を続けることが。
「それは書きたいという気持ちが湧き上がってくるからでしょ?」
医師の言うとおりだが、そんな気持ちを発散するためにだけ、僕は詩を書き、小説を書き、思いついた文章を書き、鉛筆を削り続けた。
僕がちょうど45本目の鉛筆を削り始めようとしたときだ。
電話が鳴った。
真夜中に電話をかけてくる相手に心当たりが無かったので、不安になった。
「もしもし」
「はい、こちら貝殻鉛筆を申します。」
「はい。」
「夜分遅くに申し訳ありません。」
「・・・はい。」
「いつも当社の鉛筆をご利用頂きありがとうございます。」
「・・・・・・。」
「実は、この度、当社で新しく開発した鉛筆のモニターをお願いしたいと思い、お電話しました。」
確かに、僕は鉛筆モニターに応募した。
その電話のあった二日後、鉛筆が1ダース送られてきた。
使ってみると滑らかでいて、芯があり使いよい鉛筆だった。
書きやすい。
おかげで、僕の『作業』はますます充実し、時間がのびた。
文字だけでなく、スケッチもできる鉛筆になっていた。
絵心はなくても、目の前にある冷蔵庫の形くらいは描ける。
貝殻鉛筆の新製品はきっと売れるだろうと僕は思った。
そんな“小春日和”のようなのんびりとした感想は翌日には砕け散った。
朝早く強くドアをノックする音で目がさめた。
ドアをあけると黒い手帳を差し出す男が二人立っていた。
「警察ですが、ちょっといいですか?」
それから夕方まで僕は取調室にいた。
全国で選ばれた貝殻印の鉛筆モニターは50人。
住所も電話番号も分かっている。
ただし、夕べの10時から今朝の4時までのアリバイ以外は。
この時間帯に原子力発電所のポストに「爆弾予告」を「貝殻鉛筆」で書いて、郵便受けにいれたらしい。
警察はすぐに珍しい鉛筆の筆跡から特殊な製法を割り出し、貝殻鉛筆を見つけた。
そして、この鉛筆が配布されたのは、この1週間以内で全国に50人しかいないこともすぐに判明。
僕が部屋になぐり書きした原稿と脅迫文の筆跡鑑定をし、僕の背景を洗い、アリバイを徹底的に聞いてきた。
おひるにカツどんを食べさせられ、鉛筆の入手方法、原発発電についての意見を聞かれた。
全てが的外れな劇のようだった。
1日がかりの警察での取調べを終え、監視付きで開放された。
自分の部屋にもどり、今日一日のことを考えた。
とにかく、僕には何の問題も無い。それは事実だ。
全国にいる貝殻鉛筆の49人のモニターか、貝殻鉛筆の製造会社関係者という警察の絞込みは間違いのないことだろう。
しかし、誰かが、その鉛筆を使って原子力発電所に脅迫状を書く、それはあまりに軽率だ。
犯人が限定されてしまう。
部屋にころがっている貝殻鉛筆を見た。
外見はどこにでもある鉛筆だ。ただ書き味が良い。まるで麻薬のように何かを書かずにはいられなくなる鉛筆。
問題となった原発は、2日間活動を中止し、爆弾などが無いか調査して活動を再開するとのこと。
僕は、久々に疲れて眠りについた。またもや早朝の激しいドアのノックの音がするまで。
今度は企業トップの誘拐犯人疑惑だった。
大手自動車産業の重役が誘拐され、身代金が要求されているらしい。
その要求書が貝殻鉛筆で書かれていた。
いったいどうしたというんだろう?
「闇の犯罪界」で、貝殻鉛筆が流行っているとでもいうのだろうか?
今度も、僕は潔癖の自信がある。
あの鉛筆を使って書いたものは、青っぽい詩と駄作の散文と冷蔵庫のスケッチだけだ。
マスコミでは原子力発電所の脅迫事件と自動車会社の重役誘拐事件は報道されていたが、そこに「ある鉛筆」が共通に使われているという情報は伏せられていた。
僕が早朝、叩き起こされてから一週間後、自動車会社の重役が開放されたことがニュースで報道された。
身代金が支払われたかどうかは発表されていない。
貝殻鉛筆を使うと「危ない思考回路」が発達して「優秀な犯罪者」ができるというデータでもあるのだろうか?
その男はコンビニで下着と髭剃りを万引きしたかどで、警察に突き出された。
ある国から日本に来て半年が経っていた。日本語は流暢ではないが、十分に話せた。
警察は麻薬関係も疑い、彼の所持品を調べた。
靴底からハッシッシが見つかった。
彼の身辺は単なる万引きからいっきに麻薬密売関係の疑いをもたれ調査された。
しかし、その手の関係は否定され、単なる麻薬常習犯だけだと分かり、一ヶ月の禁固刑ですんだ。
留置場の担当官が彼の所持品の目録を作った。
パスポート、はがき、家族の写真、手帳、不思議な形をした筆記道具らしきもの。
「なんだい、これは?」担当官が聞いた。
「これは、僕の生まれた村で作っているペンだ。」
担当官が試し書きをしてみると、日本の鉛筆のような筆跡になった。
「なかなかいい書き具合じゃないか。」
「秘伝のペンだからね。」
「社長、どうしましょう?」
「しばらく、様子待ちだな。」
「いいんですか? 発売しても?」
「バレやしないだろう・・・。あんな異国の片田舎のもんだから」
「しかし、一体、誰が犯人でしょうね?」
「うちの社員じゃないことだけ分かっていればいい。」
「そうですが・・・」
「刑事事件から、商法の問題がばれることもありますからね」
「重役誘拐に比べたら、微々たるもんだよ。」
「・・・・。」
「とにかく、製造方法と、あそこの原石は我が社が押えた。世界のどこも真似できないはずだ。」
僕は鉛筆を眺めた。
重役が助けられて以来、早朝の刑事訪問は無くなった。
あのドタバタ劇の疲れのせいか、真夜中に何かを書くことがなくなった。
それも、ピタッと書く気が失せた。
主治医は「それもまたよしとしましょう」と言った。
貝殻鉛筆はまるで持ち主の生気を吸い取るようだった。
書き心地がいいので、書かせるだけ書かせるのだが、その分、こちらの熱意が冷めていく。
そんな鉛筆だ。
原発の爆破予告事件も、会社重役誘拐事件もマスコミから忘れされるようにして、半年が過ぎた。
そして、貝殻鉛筆が発売された。
発売日から1週間後、僕はまた早朝の刑事訪問を受けることになった。
「また何か、事件でも?」
「いや、その後、どうしているかと思ってね。まだ、何かを書いているのか?」
「いいえ、あれから全然。」
「どうやらそうらしいな。貝殻鉛筆の社長がぼやいていたよ。」
「なんて?」
「あの鉛筆は一発屋で、ロングセラーにならない。みんなある日、ピタッと鉛筆を使わなくなるそうだ。」
「へー、みんなそうだったのか。僕だけかと思った。」
「とこで、その貝殻鉛筆だが、どこかの国の企業秘密をパクッテ作っていたらしい。」
「ふ〜ん、そうなんだ。」
「あ〜、間抜けな万引きが一人捕まってね。そいつの生まれ故郷の特産だったらしい。」
「それで?」
「まぁ、それで、その国のある地下組織がいろんな国の主要人物を誘拐して、身代金でかせいでいるという噂がある。」
「・・・・・・。」
「そこまでだ。あとは、外交ルートの問題で先にいかない。」
警察もなんだか、いろいろとつまんない社会のようだった。
「まぁ、そういうことで。事件の『関係者』に一言連絡しておこうと思ってね。」
「それはわざわざ。」
刑事が訪問してきた夜、電話がなった。
「あの〜新しい洗剤のモニターをお願いしたいのですが。」
もう、モニターはこりごりだった。
(終わり)
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