2010年09月24日

ピアノ(短編)

私の鍵盤を女が叩く。
力強く、時に軽やかに。

モーツァルトの曲が、昼下がりの町に流れる。

私はスイスで生まれ、日本にやってきた。
終戦間もない日本。
ピアノはまだまだ一般家庭にとって、高嶺の花の時代。

私は、神戸の高台で、モーツァルトを奏でる、平和なピアノだった。

譜面を風がめくり、花瓶の花が私の音に震え、女が一身に私を弾いている。
毎日2時間、私の体は鳴り響き、幸せな人生をピアノとして過ごしていた。



神戸での幸せな日々は、そう長く続かなかった。
神戸での2度目の冬。
朝になったら、家族が消えていた。

見知らぬ人が私を値踏みをして、「これは競売に出す」と言った。

もう、あの女の指に触れることも二度とないことが、ピアノである私にもわかった。

私は売られていく。

そこにも平和な時間が流れていればいいのだけれど。





タバコの煙が立ちこもるジャズ・バー。

隣でベースが鳴り、向こうでドラムが響く。

銀のドレスを着た女が歌を歌っている。

私を弾くのは40歳過ぎの男。

軽いタッチで、流れるように私の上を行き来する指。

男女のおしゃべりと、食器が触れ合う音。

そこが、私の2番目のすみかだった。

朝の4時には、私一人になる。

神戸の風景を時折、暗闇の中で思い出す。

東京のジャズ・バー。

静寂な時間は一日にほとんどない。

ここでは生活が競争だ。





始発電車とともに、都会は目覚める。
サイレンとクラクション。
季節の無いバーの中では、私はピアノとしか生きていけない。

話しかけてくるのは、一人の老人だけ。
1日の終わりに、私についたタバコのヤニを拭いてくれる。
バーテンダーをやっている彼は、左の小指が第二関節から無い。

時代は冷酷で、流行遅れの芸人はあっという間に消える運命。
その中で、このバーは往年のスターを身近で楽しめた。

季節を感じることができなくても、幸せなのかもしれない。
円熟した芸人の歌にあわせて、私も歌うことができるのだから。





タバコの煙にも都会の喧騒にも慣れた。
私には都会のほうが合うのかもしれない。

もう、神戸のことを思い出すことも、あまりない。

私が奏でる音楽も変わった。
ショパンでもモーツアルトでもなく、ジャズのスタンダードやポップスばかりになった。

年老いたバーテンダーは来年には、ここを去って、生まれ故郷で老後を過ごすと言っていた。
きっと、新しい男の人が私を磨いてくれることになるのだろう、そう思っていた。

ある日、一流だけど高齢のミュージシャンが私の前で倒れた。
私を弾いている最中に、突然、鍵盤に肘を打ち付け、そのままステージへ体を崩していった。

脳溢血で、そのミュージシャンは二度と意識を戻さなかった。

私の上をいろんな人生が通り過ぎてゆく。

街の風景すら、私は思い出さなくなってしまったというのに。





神戸を離れた時と同じように、今回も、それは突然やってきた。

ジャズ・バーのオーナーが負債を抱え、このバーを手放すことになった。

新しいオーナーは、ここは古臭いジャズよりも、若者向けのアウトレットのほうが向いていると判断した。

そして、アウトレットにはピアノは不似合いであることも、同時に(そして瞬時に)判断した。

ビジネスが上手い新オーナーは私を法外な値段で北海道にある公共ホールに売りつけた。

私を待っているのが暖かい拍手ならいいのだけれども。





小さな北の町。

私は月に一度ある「ピアノ教室発表会」で、子どもたちと一緒に音楽を楽しむ。
調律は半年に一度になったけれど、ここにはタバコもアルコールもない。

夜は大きなホールのすぐ脇にある楽屋に置かれた。
音がしない建物で一人で暮らすのも悪くない。暗闇さえ怖くなかったら。

子どもたちは緊張した顔で私に向かい、汗ばむ指で私の鍵盤を弾いた。

それは、私の励みになった。

子どもたちというものは、常に不安にかられ、将来を悲観するものだが、決して成長を止めるものじゃない。

伸び盛りの人間とともに過ごす時間は、私を安心させた。

老齢のジャズ・ミュージシャンとばかり時間を過ごしてきたせいだろうか。





ある日、私の住む音楽ホールが火事になった。
浮浪者が北海道の厳冬に耐えかねて、暖をとるつもりだったのかもしれない。

煤にまみれた私は、お払い箱になった。
無用となったピアノがどういう運命になるのか私は知らない。

このまま焼却されるのがおちかな、と私は諦めていた。

神戸の街から東京の雑踏へ、そして北海道。
もう、これで私も十分だ。

暖かい家庭を見た。
円熟したジャズシンガーの魅力も知り尽くした。
伸び盛りの子どもの才能を驚嘆した。

これ以上、私のピアノ人生に何を望むというのだろう。

十分だ。

最後は煤にまみれたが、私は私を演じきったのだから。





諦めかけていた私の人生だったけれど、私はまだもう少し生き延びることになった。
コスタリカの小学校へ行くことになった。
こんな古ぼけた私でも、コスタリカでは貴重なピアノとして行く。

私は自分の運命に決して逆らおうとはしないが、それでも待ち受けている人がいることに感謝した。

もう、これから1年に1回も調律されないかもしれないけれど、私を喜んでくれる人がいると思うと、生きていく希望が湧いてくる。
神戸も東京も北海道でも誰かが私を支えてくれた。
今度は私が支える番だわ。

音程が狂ったとしても、きっと私のメロディに誰かが心を満たしてくれるはず。

たとえ、誰もそんな人がいなかったとしても、ピアノは、存在しているだけでもピアノよ。

私は日本をあとにして、船に乗った。





夕暮れが迫る崩れかけた教室。
窓から夕日が入る。

熱帯の風もひんやりとしてくる。

誰もいない小さな教室。
そこへ足音が忍び寄る。
廊下から教室に入ってくる小さな足音。

赤い小さな布切れに身を包んだ少女。

周りに誰もいないことを確認する。
そっと忍び足で、私に近づく。

今朝、先生が「日本」という東の小さな国から届いた「ピアノ」という楽器を紹介してくれたのだ。
先生が弾いてくれたピアノの音は、少女がこれまで聞いてきた、どんな音とも違っていた。
少女の心がピアノの音に共鳴したのだ。

少女はピアノの前に立ち、もう一度、周りを確認した。
そして、そっと鍵盤の蓋を持ち上げる。

白い鍵盤と黒い鍵盤が並んでいた。
その配列が、少女の何かをくすぐった。

恐る恐る、右腕を伸ばし、人差し指で鍵盤をそっと押す。

「天国の天使が鳴らす楽器だわ」
少女はひとみを輝かしながら、そう思った。

少女は満足すると、蓋をした。

「明日から、この天使の楽器を毎日触ろう。そうだ!先生にピアノの弾き方を習おう!」

少女は満足すると、駆け足で家族が待つ小さな家に向かって駆けて行った。





(終わり)


posted by ホーライ at 02:11| Comment(0) | 短編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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