部屋の時計を見る。
秒針が一秒ごとに時を刻む。
一秒ごとに、自分の声を失う時間が近づいてくる。
一秒ごとに、自分の死が近づいてくる。
夕闇が街の空を染めてきた。
鳥の鳴き声が遠く聴こえ、飛行機雲が空を斜めに切る。
僕の心と体を開放してくれた彼女に告げる最後の言葉を考える。
綾戸智絵が唄う「Let it be」がどこからか流れてきた。
乳がんだった彼女は「生命の力」に気づく。
フジコ・ヘミングも難聴になってから「演奏」が変わる。
ホーキングは言う「病気になって気づいたんだ。自分の時間の貴重さを。」
何も怯える必要は無い。
不完全燃焼するほうが耐え難い。
「なるようになる」
綾戸智絵がシャウトする。
彼女の声が、胸に染み渡るのを待つ。
部屋が夕闇に包まれると、僕は彼女に伝える言葉を考え始めた。
それは「肉声で伝える最後の言葉」でしかない。
僕にはまだ、メールを打つ指が有る。まばたきで意志を伝える人もいる。
言葉を考える脳が有る。
僕にはまだ、夕焼けを感じる視力が有る。
彼女の声を聴く聴力も有る。
声を失うことの哀しみが、夕日とともに沈んだ。
(上へつづく)