秋の気配が、知らないうちに忍び込んできた街。
今日の仕事も終り、駅へ向かう道を私は急ぎ足で歩きながら時計を見た。
あと2分で次の電車が出る。
私は足を速めた。
夕暮れの買い物客が多い道を、私は駅へ向かう。
一番星が、そろそろ出るころかしら。
仕事……。
私にとっての仕事。生活の糧を得るため?外との関わり?
まぁ、いいわ。とにかく、今日の仕事もきっちりとクリアした。
偏頭痛さえ来なければ、今日もそれなりの一日として私の中では終わる。
電車の発車ベルが鳴っている。
改札を走り抜け、電車に向かったけれど、目の前でドアは容赦無く閉まった。
フッと思わず出るため息。
私は仕方無くプラットホームをブラブラと歩く。
夕闇が街を包み込んで行く。
一軒、一軒の家から出ている光。
あの光一つに、一つの家族が有る。 光一つ一つに、それぞれの人間の幸福と不幸が含まれていることを私は知っている。
でも、この前までは、それは歓びと哀しみを感じさせない無機質な光として、私の目には映っていた。
携帯が振動した。
『業務終了!今日は一日「会議は踊る」だったよ。狸と狐の運動会(笑)。僕はこれからジムへ。君は? 』
私の体から疲れが消える。
『私も終り。電車を逃しちゃった。本でも読んで次の電車を待つわ。』
私と同じあの人。
私と違うあの人。
「風の歌を聴け」をいつも持ち歩くあの人。
ベンチに座り、ブルーを読む。
……なかなか、本が進まない。
ある病院の総合受付の椅子で居眠りをしていた人。
つい小説のストーリーを自分のことに読替えてしまう癖がついてしまった。
主人公の男女を自分たちに置き換える。
初めて会った日から、まだ数えるほどしかあの人とは逢っていない。
病院の待合室で初めて出会うのも、おかしな出会いだ。
二度目に逢った日の夜に、人通りの中でいきなりキスをしてきたあの人。
それに反応した私。
携帯メールは私たち二人を結ぶ、細い糸。
何色の糸かは、知らない。でも、今は唯一の糸がそれ。
駅のプラットフォームで電車を待ちながら、携帯電話の電波が飛び交っている夜空を見上げた。
一体、何本の糸が走っているのかしら。
澄んだ夜空で月が輝き、星が瞬く。 もう秋が来ていることを夜空は告げている。
私は本を閉じると、やってきた電車に乗った。
あの人のいない家へ帰らなくてはいけない。
携帯メールが届く。
『きみの読んでいる本は何?僕は科学の終焉を告げる本。既に科学は終焉を迎えているんだって。』
親指で返事を書く。
『私はブルーよ。もう読んだ?』
送信。
すぐに届く返事。
『今度、読むつもりだ。面白い?』
『読んでみて。今度逢った時に感想を。』
『了解。』
夜を走る電車は否応無く、私とあの人の距離をさらに遠のかせる。
(上へつづく)