2010年09月23日

e-mail(4)

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「あの時どうして、僕が練習している場所が分かったの? メールでは教えてくれなかったけれど。」

コーラを飲みながら、彼女の目を見つめる。

「日記。あそこに書かれていた風景を頼りにしたの。障害者スポーツセンターって都内にいくつもないのよ。」

頷く。微笑みながらミルクティーを飲むと彼女は、窓の外を眺める。



目を閉じる。

目が沁みる。エンヤの音楽が一日中、頭の中に流れていた暑い夏を思い出す。

目を開ける。

 

気がつくと頬杖をついて、やわらかな髪の毛を耳にかけ僕を優しく見つめている。

どうして、そんなに優しい表情が出来るの?

……今まで逢った誰よりも、きみは僕の心を捉える美しさを持っている。

心も、顔もelegantだ。



「海に誘ってくれたね。びっくりしたよ。」

「そう? 海は好きなの。 車椅子の人とは行ったことがなかった。私は泳げないし、体力にも自信はなかった。

でも、どうにかなるわって思ったの。あんまり考えて行動していないのよ、私って。」

「そうかな。」

「でも、夢が大切。夢が明日を作るの。夢と希望が私たちに明日を作らせる。そう思う。だから、私は夢を持っていたいし、あなたにも持っていてほしいの。

そう思ってさ、海に誘った。」

「ありがとう。」



僕は地上に出てきたばかりの蝉。明日を信じて、今をいきる。



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僕のメール。

「どうして僕の練習場所が分かったの? 声をかけてくれれば良かったのに。 僕の練習風景がそんなに良かった?

マネージャーを募集中だから、参加してみない?

海は一度、女性と行ったことがある。もちろん、泳がなかったけれどね。 彼女の自動車に乗せてもらった。

でも、トイレに行けなくて苦しんだよ。いつも人と外出するときは、水分を取らないようにしている。

けれど、あの日は暑かったので、つい飲みすぎたんだ。その彼女も良くやってくれたんだ。それまではね。

だけど、どうしてもトイレには付き合えないってさ。おかげで、僕は膀胱炎にまでなっちまった。

彼女は練習にもよく来てくれた。レースの応援にもね。 でも、結局、親の反対やらがあって、それっきりさ。

だから、そんなに簡単に、誘わないでね。慰めならいらないしね。

きみはエンヤが好きなんだ。僕は知らないけれど、今度、レンタルショップに行ってみるよ。では、また。」

 

僕の日記。

“ 暑いね。 今日なんか、暑すぎて蝉が道路でのた打ち回っていたよ。

38度だ。信じられるかい? 扇風機をかけても熱風が来るだけだ。

僕が50Km走破すると5Kgは体重が減るんだ。みんな汗となって流れていく。 練習中に顔がざらざらしてくるんだ。

塩が出ているんだね。僕の顔は死海か?

軽井沢でのレースが決定! 9月10日だ。 鉄腕レースじゃないんだからさ、今日のような過酷な暑い日にならないでおくれー!! ”

 

彼女のメール。

「“マイサリ”の件を、上司に言ってみました。正攻法ではだめね。

既に患者団体とは示談が10年以上前に済んでいる。これ以上は、会社の責任ではない、と澄ました顔で言っていました。

では、このデータを公開してもいいのですか? と聞いたらウロタエテいました。データはもう自宅に持ちかえってます。

前にも言ったとおり、無料でホームページを開設できるサービスを利用して、データを公開しようかと思います。

なんのために、公開するの? ですか?  私が出来ることって、それくらいだから。

お給料を貰っている会社を売るようだけど。でもいいの。きっと、このデータを公開したところで何も変わらない。

私がクビになるくらいかな。

エンヤは、心を穏やかにしてくれるので、大好き。アイルランドの歌手で、お父さんはパブを経営しているのよ。       かしこ」

 

どうやら、彼女は僕の忠告なんて聞く耳を持ってないようだ。



エンヤを借りてくる。不思議なサウンド。透明なボーカル。僕の体と心を包み込む音楽。力強く、静かに歌うエンヤ。

それは、彼女のメールに書かれた言葉だったのかも知れない。

端整な顔をしたエンヤ。



目を開ける。

「エンヤって、端整でエレガントな顔をしているよね。」

「うん、私、歌も好きだけれど、彼女の顔も好きなの。」

「きみのほうが、エンヤよりもずっと綺麗でエレガントさ。 いつも、僕はきみの顔を見てボーとしているので、大切なことを聞き逃しているんだ。」

「美化しすぎ。」

「これでも、控え目に言っているんだけれど。」

微笑む彼女の美しさは、僕に森の朝を思い出させ、暖かな春を思い出させ、夢を忘れてはいけないことを教えてくれる。

目を閉じる。





炎天下、車椅子でスポーツセンターに向かう。

筋肉トレーニングのお陰で、1回のストロークで移動距離が長くなってきた。長距離は体力勝負だ。

これからは、持久力をつけるために、長距離をできるだけゆっくり時間をかけて走破する練習に変更する。

スポーツセンターの前にある長いスロープの車椅子用歩道橋を渡る。練習なんかより、ここが一番きつい。

やっとの思いで歩道橋を渡り、スポーツセンターに向かう。

日傘が見える。白い日傘の下に、ピンクのポロシャツ。色褪せたGパンに白いスニーカー。笑顔で僕を見ている。

近づくと、日傘をたたみ、走りよってくる。

「こんにちは。暑いですね。あっ、はじめまして、かな。メールでは何度も会っているのに変ですね。」

僕を涼し気に見下ろす。

「こんにちは。良く分かったね、今日が練習日だって。」

「だって、受付のところに練習日が貼ってあるんですもの。」

「そうか。そうだね。」

「タオル持ってきました。それと、麦茶。」

「ありがとう。」

「向こうの日陰のベンチで、練習が終わるまで本でも読みながら待っています。」

「じゃ、練習の後で。」

彼女は木陰に走り、ベンチに座ると白い袋からアイスを出し僕を見た。

イタズラした子供が親に見つかった時のように彼女は笑った。

そして、本を広げるとアイスを食べ始めた。

信じられない思いで僕は彼女を見た。会社をクビになることなんて、なんとも思ってないのだろうか?

 

1時間半の練習を終わり、スポーツセンターの外に出る。

彼女が出迎えてくれる。

「ホント、あのコーチ、素敵ですね。いくつなんだろう。」

「31歳。僕より5歳下。」

「ちょっと、練習を覗いてみたの。練習の時は、いつもあんなに厳しいんですか?」

「そうだね。だから、このスポーツセンターからパラリンピックに何人も選手が出ているんだ。」

「ふ〜ん。ハイ、タオル。」

「ありがとう。」

薄いブルーのタオルを借りて、顔の汗を拭く。石鹸の香りがする。

「洗濯して返すよ。」

「あら、いいのよ。洗濯は大好きだから。」

クラクションを鳴らしながら、コーチが運転する赤いファイアットが僕たちの隣りを通り過ぎていく。

「チャオ!」

コーチが僕たちに手を振りながら去っていく。

「いいなー、あんなふうに成りたいな。」

彼女が、車を首で追いながらつぶやいた。

「喫茶店にでも行く?」

「あの日影がとっても気持ちいいですよ。あそこで麦茶でも飲みませんか?」

僕と彼女は大きなポプラの木の下で涼を取った。

 

「これが、動物実験のデータです。これが、障害児が生まれる確率を求めた計算結果。

ね、妊娠初期で“マイサリ”を使うと、ほとんど流産するか、奇形のマウスが産まれているでしょう?」

A4の紙に打出されたそれは、僕には数字と英語の略語の羅列にしか見えなかった。

これが、僕の人生を変えたデータ? 全国の5000人の人間の人生を狂わせたデータ?

この数字の羅列は現実味が無い。この数字には、なんの痛みも悲しみも感じない。 ただの数字だ……。

その紙と彼女の顔を何度も見比べると、僕はため息をついた。

彼女の差し出してくれた麦茶を飲む。

「意味が無いよ、こんな数字に。こんな数字を世の中に出したところで、僕の体は変化しない。誰も喜ばないと思う。

きみは、クビになっても困らないの?」

「そうね、……それはまた後で。公開するかどうかは、また後で考えます。

それよりも、このデータをあなたに見せたかったの。」

「どうして?」

「あなたの体は、お母さんのせいでは無いことを言いたかったの。

これは製薬企業の怠慢と社員の馴合い、科学者の思い上がり、ありとあらゆる無責任の産物かもしれない、と思ったの。

私は、それに加担したくなかった。 まぁ、それはどうでもいいの。

とにかく、あなたのお母さんのせいではないことだけでも、分かってほしかったから、持ってきた。」

両手の指を擦り合わせながら、うつむいて話す彼女。

タバコを吸いながら、僕は自分の足を見る。



「私には何もできないわ。どうして“マイサリ”が障害児を作ってしまうのか、本当のところは理解できない。

普段、会社で仕事をしていても、意味の分からない言葉ばかり聞かされて、ほとんどコンプレックスの固まり。

まわりのみんなは、私なんかより、ずっと、とても頭が良く見えるわ。

だけど、私にだって分かることがある。私の勤めている会社の製品のせいで、あなたが車椅子に乗っている。

それは、事実。でしょ?」

「そうかもね。」

蝉が鳴いていた。7年の地中生活を終え、地上に出た最後の夏。僕の7年間と同じだ。

「私に何ができるか、それを考えたの。私にできること……私にだってできることは有るはず。

それは、一体、誰のせいであなたが車椅子に乗っているのかを、調べること。

少なくとも、あなたのお母さんのせいでは無いことを証明したかったの。お母さんはお元気?」

「7年前に、癌で死んだ。」

「そうだったの。」

「おふくろは、ずっと僕に謝っていたよ。私があの時、薬さえ飲まなければあんたの足は普通だったのに、ってね。」

「違うわ!!」

彼女は、麦茶の入ったコップを落として立ち上がり、僕を見下ろした。

 

(上へつづく)

posted by ホーライ at 21:30| Comment(0) | e-mail | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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