2010年09月23日

e-mail(2)

     (2)

 
「私は製薬会社に勤めています。私の会社が作っていたのが、“マイサリ”です。

私が産まれる前の話です。でも、今、私はその会社に勤めています。

会社の仕事でインターネットを検索していたら、偶然、あなたのホームページがヒットしました。

そして、あなたの日記を読みました。

実は、私は薬が専門ではありません。私は英文科を出ています。

だから、どうして私の会社の薬があなたに影響したのか、正直なところ分かりません。

これから勉強します。そして、どうしたらいいのかを考えます。

勉強したら、また、メールを送ります。あっ、お忙しいでしょうから、お返事は結構です。かしこ」

可能な限り、僕は彼女からのメールに返信した。

でも、この最初のメールにだけは困った。「どうしたらいいのかを考える」?

どうするつもりなんだろう? 僕自身はどうして欲しいのか、さっぱり分からなかった。

 

僕のメール。

「メールをどうもありがとう。そうですか、“マイサリ”の会社にお勤めですか。

僕のために“どうしたらいいのか”を考えて頂けるとのこと。

僕には“どうしたらいいのか”という選択肢が有るようには思えませんが……

でも、お心づかい、ありがとうございます。

また、日記の感想をお待ちしています。」

 

日記。

“ 今日、メールを貰った。この日記の読者らしい。なんだか、僕の生い立ちと関係がありそう?

勉強したら、またメールをください。待っています。

そして、いつも、この日記を読んで頂いている皆様、メールをありがとう。全部、目を通しているよ。

ところで、今日の健康診断で、面白いことが有った。

心電図の技師のお姉さんが、僕の足首のところまで電極を苦労して引張りあげていたときだ。

(僕の“足首”はみんなより、ずっと上にあるんでね。)

そのお姉さんが、感嘆詞とともにこう言った。

「あなた、お酒が飲めないでしょう?!」

「どうして、分かるんです? 心電図が真面目だから?」

「ハハハッ、ほら、腕が真っ赤よ。」

採血のためにアルコール綿で腕を消毒したが、その跡が真っ赤になっていた。

僕は動く“アルコール検知管”だ。君は? ひょっとして動く“アルコール分解酵素”かい?

ここで、クイズだ…… ”

僕のところには、彼女のメールがただ一通届いているだけだったが、指が「皆様」と打ってしまう。



彼女のメール。

「こんにちは。

“マイサリ”は、本当は不良品だったようです。 あの薬はラセミ体だったとのことです。ラセミ体というのは……」

2通目のメールが次の日に届いていた。勉強家なんだ、彼女は。

 

彼女のメール。

「ラセミ体というのは、右手の化合物と左手の化合物が混ざっているものを言うそうです。

本当は、同僚に聞いたので、このへんのことは良くわからないの。

とにかくラセミ体は同じ化合物でも、右手と左手のように重ねあわせても、全く重ならないものを言うのだそうです。

“マイサリ”は右手と左手があったけれど、そのうち、「左手の“マイサリ”」だけが、「問題有り」だったそうです。

でも、あの当時は、まだ科学が発達していなくて、それが分からなかったの。

もし、右手の“マイサリ”だけを取出すことができ、あなたのお母さんがその右手のほうだけを飲んでいたら、良かったのにね。

今では、右手の“マイサリ”だけを作ることも出来るそうです。

また、メールを出します。昨日の日記に書いていたクイズの答えは“カサブランカ”。かしこ。」

 

ふ〜ん、映画が好きなんだ。

「夕べはどこにいたの?」

「そんな昔のことは忘れた。」

「今夜は何をしているの?」

「そんな先のことは分からない。」

 

僕のメール。

「“マイサリ”のこと、ありがとう。薬に右手と左手があるなんて知らなかったな。本当は、どんなものなのか想像できないんだけどね。

映画が好きなのですか?どんな映画が好きなの?今度は映画のことも教えてください。では。」

 

日記。

“ 夕べは、蒸し暑かったね。みんな、眠れたかい?

そう、OK。僕も大丈夫、いつもの通り爆睡さ。

クイズの答えを送ってくれた皆様、どうもありがとう。

正解は「カサブランカ」だ。正解の人には、プレゼントとして、“映画で覚える英語”サイトのURLを送るね。

ところで、薬にも右手と左手が有るなんて、知っていた?

僕はもちろん知らなかった。

どうやら、僕の足が短いのは、「左手の“マイサリ”」のせいだったらしい。

僕はてっきり、意思の弱いおふくろのせいだと思っていたよ…… ”

 

彼女のメール。

「昨日の日記に、抗議します!!

あなたの体は、お母さんのせいではありません。お母さんは、どこも悪くない。

あの当時は、妊娠中に薬を飲むと障害児が産まれるなんてことは、誰も知らなかったのよ。

だから、あなたが産まれる瞬間まで、あなたがどんな様子で産まれてくるのか、お母さんも知らなかったはず。お医者さんにだって。

「意思が弱い」こともないと思う。誰だって、苦しいときには、薬を頼ると思います。

絶対に、あなたのお母さんは、悪くない!!……悪いのは私の勤めている会社かもしれません。調べてみます。

映画は好き。最近はビデオで見ています。なかなか、映画館に行く時間がないのが寂しい……。かしこ」

 

僕は、ずっとおふくろを怨んでいた。

おふくろさえ、あの時、薬を飲まなければ僕は別の人生を歩いていたはず。

製薬会社を怨んだことは無かった。

調べる?  一体、何を?

調べても、僕の体がどうにかなるものでもない。

 

僕のメール。

「おふくろは、僕のおふくろです。僕が30年以上どう思ってたか、あなたには理解できないのでは?

それに、今更、“マイサリ”のことを調べても、どうなるものでもありません。あなたの貴重な時間を無駄使いするだけだと思います。

大丈夫、僕はあなたの会社のことなど、どうも思っていませんので。

ただ、あの時、おふくろが薬を飲むことをちょっと我慢してくれていたら、と思っているだけです。

お心づかいは、大変ありがたいですが、そこまでやって頂かなくても結構です。では。」

 

日記。

“ 親の恩は、山よりも高く、海よりも深いってね、昔の人は言ったものです。

でも親が自分の苦痛から解放されるために、子供に不幸を与えてもいいのかね。

さて、今日の新聞から「車椅子」用の高速バスが登場! ――遅い! 遅いよ。公共の乗り物が…… ”



もちろん、彼女からは抗議のメールが届いた。プリントアウトすると、A4で2枚だった。

返信はどうしたものか。きっと、どう書いても理解してもらえないんだろう。

車椅子の修理に出かけよう。僕の夏は例年通り、ロードレースの練習で終わるだろう。

本格的なレースの前にスポークの修理をしておこう。

滲む汗を拭きながら、街の歩道を車椅子で身体障害者スポーツセンターに向かう。

 

夏は僕が嫌いな季節だ。

つづく 

【注意】

これは完全にフィクションである。映画名、音楽名、俳優名、小説名は実際に存在するものだが、「マイサリ」は実存しない。
「マイサリ」と類似する名称があったとしても、偶然である。
ただし、「サリドマイド」という薬により、奇形児が産まれた薬害事件は実際に有った。
二度と同じ悲劇が起こらないように。二度と繰り返しませんように。


(上へつづく)


posted by ホーライ at 21:25| Comment(0) | e-mail | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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