2010年09月24日

美術館(短編)

その答えはレオナルド・ダ・ヴィンチの絵に隠されていた。
僕たちが長年研究してきたリウマチの新薬がこれで完成する。

今から7年前に始めたリウマチの新薬開発プロジェクト。
それは暗礁に次ぐ暗礁だった。

そして最後の突破口が見出されないまま、会社からあと2年という期限が提示された。

リウマチプロジェクトの最後は、過去のあらゆるリウマチに関する文献漁りにかけられていた。

僕たちがコンピューターを駆使してデザインした新薬候補には、ある特徴があった。
それは、ある種の金属がその薬の効果を高めるのだ。
昔から、リウマチには「金」が薬として使われていたから、あながち不思議では無かったが、最も効果が高い金属を探すのが、僕たちの最後の仕事だった。

今のままでは、現存する薬の効果とほぼ同じなのだ。


何故、リウマチに「金」が使われるようになったのか。

コッホの時代、リウマチも、もしかしたら結核からくるのではないかとの考えで、結核に少し効く金療法を試したところ、リウマチが実にみごとに軽快した例が出てきた。
これが金療法の始まりだ。

以来、いろんな金属と化合物が試されてきた。
その中でも、僕たちのチームが発見したものが一番有望だろう。
しかし、決め手となる金属がまだよく分からない。

そこで、ありとあらゆるリウマチ文献漁りとなったわけだ。

ある若手研究者がグーグルを使って、片っ端から「リウマチ」でヒットしたサイトを調べてみた。
すると、レオナルド・ダ・ヴィンチが「病いに苦しむ婦人を描くラファエロ」という絵を描いており、その「病い」がどうやら「リウマチ」らしいことが分かった。

「それで?」
「それで・・・・・・、実はその絵が今、東京に来ているらしいんです。」
「それで?」
「なので、あの・・・・・・見に行きませんか?」
「わらを?」
「は?」
「藁をもつかむ思いだな」
「はい、まぁ、そういうことです。」



その絵は、なんとも奇妙な絵だった。

病いで苦しんでいる婦人のベッドの前でラファエロがキャンバスにむかって、その婦人の姿を描いているのを、ダ・ヴィンチが絵にしているのだ。
キャンバスの中にまたキャンバスがある。

何故、ラファエロは病気で苦しむ婦人の絵を描こうとしたんだろう?
それを、どうしてダ・ヴィンチは絵にしたのだろう?

中世の暗い部屋の中で小さな窓から光が差し、女性が痛みに顔を歪めている。
それを射抜くようなまなざしで見つめるラファエロの横顔。
その前にあるキャンバスの中にも病気の女性が・・・・・・。

「不思議な絵ですね。」
「まったく」
「なんで、ダ・ヴィンチは、こんな絵を描いたんでしょう?」
「いい質問だ。今まさに、きみに聞こうと思っていた質問だよ。」

僕と若手研究者は、しばらく絵を見つめていた。

暗い絵の前にいるのは僕たち二人だけだった。



美術館に併設されている喫茶店でコーヒーを飲んだ。

「結局、藁は藁だったな」
「そうですかね? そうですね。特に新しい情報は見つかりませんでしたね。」

画家は時に奇妙な絵を描くものだという感想だけが、二人の頭の中を占めていると僕は思った。

「でも、あのベッドの足元に置いてあった小瓶が気になるな」
「ん?足元に小瓶?なかったと思うけれど」
「ありましたよ、婦人の足もとに」
「足元? 女性の下半身はラファエロのキャンバスで隠れていただろう?」

「あ!先輩、意外と注意力散漫ですね。」
「あったっけ?小瓶」
「ラファエロのキャンバスの中に描かれた婦人のほうの足元に小瓶が2個あったんですよ」
「そうだっけ?」
「そうなんです。あの瓶の中には薬が入っていたと思いませんか?」
「……」

日本で液晶が開発された理由は、アメリカの研究所に行った日本のテレビ局が放送した番組に研究者の机の小瓶のラベルの化合物名がテレビに映ったからだ。

「もう一度、見に行こう」



確かに、ラファエロが描いているキャンバスの中には、小瓶が2個描かれていた。
ラベルには文字らしき模様も見られる。

「この文字を写せ。」

僕と若手研究家は、ラベルの模様を手帳に書き写した。
小さな模様なので、絵のすぐ近くまで顔を近づけないとよく見えない。

「何語でしょうね? 英語でないことは間違いありませんね。」
「イタリア語かラテン語だろうな。」

二人で書き写し、メモ帳をポケットにしまいこんだ時に、女性の声がした。

「絵にインクが飛ぶといけませんので、万年筆は美術館で使わないでください。」

振り返ると、美術館員らしき女性だった。

「すいません。もう大丈夫です。」
「気をつけてくださいね。ところで、絵に何か?」

眼鏡を人差し指で持ち上げ、その女性が聞いた。

「この瓶のラベルの文字があまりに素晴らしいもので。ところで、なんと書かれているか、ご存知ですか?」

女性は眼鏡をさらに持ち上げ、絵に顔を近づけ、しばらく眺めていると、顔をあげた。

「ここは美術館で、書道展ではありません。」

彼女の言うとおりだった。



「だめですね。」

「そうか。」

「英語ではもちろんなし。イタリア語でもラテン語でもない。ポルトガル語、スペイン語、み〜〜んな違いました。」

「やっぱり単なる模様なのかな?}

「そうかもしれませんね。」

「あきらめるかな・・・・・・。しかし、何故、ダ・ヴィンチはあんな絵を描いたんだろう」

「彼は芸術家であると同時に科学者でもありますよね。」

「そうだ。」

「その科学者としての気持ちが、将来は病気の苦しみがなくなって欲しいということで絵を歴史に残したのではないですか」

「つまり、彼は我々に、それを託したいために絵を描いたということだ。」

「そうなりますね。」

「・・・・・・彼の願いを叶えようじゃないか。」

「はい!」



ダ・ヴィンチの絵を見に行ってから空白の2ヶ月が過ぎた。

我々はコンピューターを使ったドラッグデザインを駆使し、最適の金属を探し続けた。
もちろん、文献漁りも続けている。

ルネッサンスの万能科学者の願いをかなえるために、いや、リウマチの痛みに苦しんでいるために、そして、我々のプロジェクトチームの存亡にかけて、一刻も早く薬を完成させたかった。

リウマチだと思われる病気に対する各地の民間療法、伝承、いいつたえ。
あらゆることを調査した。

人間は過去、梅毒から結核まで、全ての病気に対して、なんらかの治療を試みてきた。

植物はもちろんのこと、動物、魚、爬虫類から鉱物まで、試してない分野は無いとまで言える。
時に、カビが助けてくれたり、薬草の根が効いたりしながら、今の薬物療法が成り立っている。
呪文とトカゲの尻尾の延長に我々はいる。

ゲノム科学の普及により、より戦略的なドラッグデザインができるようになったとは言え、まだまだ天然のものから薬が見つかることは多かった。

我々はやっと大海に出た若い水夫なのだ。



休日、レンタルビデオで「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」を借りて、見る。
秘密のカギを解く場面がその番組の中にあった。
彼は紙を裏返して透かして見ると、普通のイタリア語になるような文字を書くのが趣味だった。特技とでもいうか。

その画面を見て、僕はすぐにメモを裏返してみた。
なんだか、イタリア語に見えないでもない。

さっそく、若い研究家に電話して、そのことを告げた。
彼はすぐにイタリア語が使える友人の所へ飛んでいった。

休日にのんびりビデオを見るのも、まんざら捨てたものではないようだ。



「結局、金属2種類とその配合比率が決定打でしたね。」

若手研究家が実験結果を見ながら言った。

ダ・ヴィンチの絵からメモした「逆さ文字」はイタリア語で2組の数字を表していることが分かった。
1つの数字は原子番号、もう1つは配合の比率だろうということは容易に想像できた。

その金属と比率はコンピューターもはじき出していたということが後日分かるが、そこにたどり着くには2年以上かかったかもしれない。

合成された薬は副作用は今までの半分以下。効果は20倍以上に飛躍していた。
僕は早速、臨床試験に進むため、開発会議にかけた。
多分、来年の今ぐらいは、業界が驚愕するようなリウマチの薬ができることになるだろう。

「それにしても、不思議なのが・・・・・・」

「分かっている。俺も今、それを考えていたところだ。」

何故、レオナルド・ダ・ヴィンチは当時未知の金属を知っていたのか。
未知の金属を知っていただけでなく、「原子番号」まで知っていた。
そして、それがある種の有機化合物と合体されるとリウマチに良く効くことを何故、知っていたのか。

「タイムマシンでも発明していたんでしょうかね?」

「そんなことはないだろう」

しかし、そうとしか考えようがないことだ。
歴史上の天才たちは、時に、既成概念の積み重ねから導かれること以上の発見をしているような気がする。
彼ら・彼女らは「ひらめき」の瞬間に「未来」を覗いたのもかもしれない。

過去の思考は文字や伝承として連続して現在に繋がっているが、ひょっとして、未来の思考も現在と連続しているのではないだろうか。
神から許されたごく一部の人たちだけが、その未来の思考へワープできるのかも知れない。
意思、思考は既に決められた路線があり、僕たちはそこにのっかって科学を発展させている、ということは言えないか。

「しかし不思議ですね。」

「まったくだ」

「そうそう! このデザインの意味が分かったので、例の美術館の眼鏡の女性にも教えてやったんですよ。」

「なんて言ってた?」

「『そのデザインの意味が、たとえ分からなかったとしても、ダ・ヴィンチの絵の価値は変わりません』だそうです。」

またしても、彼女の言うとおりだった。




(終)
posted by ホーライ at 02:17| Comment(11) | 短編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私信(短編)

友達できた?
こちらは、まぁまぁだよ。
いい人もいれば、もちろん悪い人もいる。
みんな優しくて、他人の心配ばかりしている人たちだ。

ちょっと肌が合わないかもしれないけれど、少しは辛抱しないとね。

そちらはどう?




相変わらず元気そうね。
こちらは秋も深まり、そろそろ冬の準備を考えないといけない季節。
もうすぐ、「雪下ろしの雷様」がやってくるころね。

田んぼは稲が刈られて、荒涼とした風景になった。
待ち行く人たちは背中を丸めてゆっくり歩いている。
風が南から北へと方向を変えてきた。
空はうろこ雲。海は絹のよう。

そんなところよ。

あなたの心の原風景が、そのまま残っているわよ。




僕は夜、電車に乗って窓の外を眺めていると、ふと「どうしてこんな所で、電車に揺られているんだろう?」と思うことがある。

生まれ育った場所から、二転三転して、あてのない旅を続けているようだ。

どんな小さな町にも、明かりがともる家がある。

こんなところにも、人が住んでいるんだと思うような所にもね。

でも、きっと誰かも、僕が生まれ育った村を見ると、きっと同じことを思うんだろうね。

赤とんぼがそろそろ、そちらでは飛んでいるころだ。

こちらの町ではそんなことにも気づかずに時が流れているよ。





そうね、赤とんぼはずいぶん飛び始めたわよ。
夕日の赤も寂しさがましてきて。
明日あたり、霜が降りているかもしれない。

あなたが残した、駅の壁のいたずら描き、まだ残っているわよ。

遠い日、将来も、夢も、過去も、まだ全てが混沌とした時間の中に埋もれていた時代の記念ね。

さ、そろそろ、この手紙も終わりにしないと。

この療養所からは、あなたの住む町も空も見えない。

でも、あなたの心だけはもらってゆくわ。

もう、麻薬性の鎮痛剤も効かなくなってきて、眠っている時だけが幸せなの。

あなたからもらった手紙を抱いて、多分、明日あたり、運がよければ、明後日。

時間って、意地悪な時計のように過ぎてゆくのね。






太陽の光を粒として見ることができる唯一の季節、秋。
窓から入ってきた光の粒を眺めていたら、その手紙が届いた。

彼女からの最後の手紙だろうという悲しい予感があった。

封をあけ、手紙を読む。
読み終えたら、手紙を封筒の中に戻す。

太陽は15分だけ西に傾き、光の粒がオレンジ色に変わった。

ついに静かな時間が訪れた。

この静かな時間を僕は、どう消費していけばいいのだろう?

オレンジ色の粒を時計の秒針が突っついて、壊してゆく。
僕はベッドにもぐりこみ、その光の粒の崩壊を眺めるしかなかった。







あれから1週間が静かに流れた。

その間、僕は崩壊する光の粒だけを見ていた。
もう、時間は先に進まないようだ。

ベッドから見える空には秋の雲が流れ始めたが、誰も僕を訪れなくなった。
まるで人々がこの世の中から全員消え去ったみたいだ。

ボタンを押しても、誰も来ない。

食事は忘れさられ、新聞は配られない。

点滴の薬もなくなったが、もう痛みも感じなくなってきた。

彼女からの手紙が来なくなり、世界が消滅した。


世界が崩壊し、時間が止まった。

いや、時間が止まったのではなく、僕の生命活動が止まったのかもしれない。

テーブルの上に置いたレモンが永遠に朽ちていかないように、僕の精神も永遠に活動を停止した。

生命維持装置は外され、音が消える。

静かに僕は目をつむり、自分が自分から解き放たれていくのを感じた。

今こそ、風に舞えばいい。





彼が息をひきとって2週間がたった。

秋は深まり、雪の便りも北の国から届き始めた。

彼が長く苦しんでいた病気の治療は世界のどこかで今日も研究されているはず。
でも、彼の人生には間に合わなかった。

私と続いた文通も最後は口述になり、その苦しさが文面から伝わるようだった。

時間というものは、意識とは別に流れているのかしら。
彼の意識が止まったあとも、こうして私の時間は流れている。

きっと、私の意識が消滅したあとも、時間は誰かの中で流れているのね。

木枯らしが吹き始めるのも、そう遠くない。






波の音が聞こえる。

きっと僕は白い砂浜に座っている。

静かだ。

風が耳元を過ぎ、時間が足元を流れてゆく。

水平線のむこうで星が今、誕生しようとしている。

その一点に光が集まる。

光が自分の重さに耐えられなくなると、膨張を始めるんだ。

遠い昔、聞いたことがある。

白い空間を僕は永遠に漂う。

もう彼女の記憶も定かではなくなってきた。




もう私には「時間」すら無意味になった。

この宇宙に何も存在しなかったら、時間も存在できないように、私に彼が存在しなければ、全てが無意味になる。

剥きかけたりんごが朽ちていくことだけが、時間の存在を示すような世界には生きていたくない。

私は、言葉を発したくない。
私は、涙を流したくない。
私は、生きていたくない。

そんな言葉だけが、心を支配する。

 
ある日、突然、彼からの手紙が届いた。

遺言により、死後1ヵ月後に私に届けられるようになっていたらしい。

「僕の存在を否定しないで。きみが生きている限り、僕はきみの意識の中に存在できる。もし、きみが死んでしまったら、僕の居場所が無くなってしまうから。」

 
私の心の動きを予想していたような手紙が届いた。
便箋の中には、私と彼が最後に写った写真が入っていた。

噴水の前で笑う、二人。
あの時は確かに時間が輝いていた。

これから、彼の時間は私の心の中で動く。
私の時間は・・・・

朽ちかけたりんごを捨てて、私は病院を出て、公園に行く。

私の存在が、彼の存在を支えているなら、私は生きていく。

秋の夕暮れまで私は公園のベンチに座り、星が輝き始めるのを待っていた。




(終わり)
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鉛筆(短編)

台所のテーブルから鉛筆が転がり落ちて、真夜中のリビングに乾いた音が広がった。

冷蔵庫の唸り声しか聞こえないリビングで僕は、思いつきの詩や小説を書いていた。
それをどうこうするつもりはない。
ただ「作業」として、この半年繰り返していた。
止められないのだ。

精神科医に相談したが、「寝不足にならないならいいでしょう」ということだ。

いいのだろうか?
こんな無意味な作業を続けることが。

「それは書きたいという気持ちが湧き上がってくるからでしょ?」

医師の言うとおりだが、そんな気持ちを発散するためにだけ、僕は詩を書き、小説を書き、思いついた文章を書き、鉛筆を削り続けた。



僕がちょうど45本目の鉛筆を削り始めようとしたときだ。
電話が鳴った。
真夜中に電話をかけてくる相手に心当たりが無かったので、不安になった。

「もしもし」
「はい、こちら貝殻鉛筆を申します。」
「はい。」
「夜分遅くに申し訳ありません。」
「・・・はい。」
「いつも当社の鉛筆をご利用頂きありがとうございます。」
「・・・・・・。」
「実は、この度、当社で新しく開発した鉛筆のモニターをお願いしたいと思い、お電話しました。」

確かに、僕は鉛筆モニターに応募した。






その電話のあった二日後、鉛筆が1ダース送られてきた。
使ってみると滑らかでいて、芯があり使いよい鉛筆だった。
書きやすい。
おかげで、僕の『作業』はますます充実し、時間がのびた。

文字だけでなく、スケッチもできる鉛筆になっていた。
絵心はなくても、目の前にある冷蔵庫の形くらいは描ける。

貝殻鉛筆の新製品はきっと売れるだろうと僕は思った。
そんな“小春日和”のようなのんびりとした感想は翌日には砕け散った。

朝早く強くドアをノックする音で目がさめた。
ドアをあけると黒い手帳を差し出す男が二人立っていた。
「警察ですが、ちょっといいですか?」

それから夕方まで僕は取調室にいた。






全国で選ばれた貝殻印の鉛筆モニターは50人。
住所も電話番号も分かっている。
ただし、夕べの10時から今朝の4時までのアリバイ以外は。

この時間帯に原子力発電所のポストに「爆弾予告」を「貝殻鉛筆」で書いて、郵便受けにいれたらしい。

警察はすぐに珍しい鉛筆の筆跡から特殊な製法を割り出し、貝殻鉛筆を見つけた。
そして、この鉛筆が配布されたのは、この1週間以内で全国に50人しかいないこともすぐに判明。

僕が部屋になぐり書きした原稿と脅迫文の筆跡鑑定をし、僕の背景を洗い、アリバイを徹底的に聞いてきた。

おひるにカツどんを食べさせられ、鉛筆の入手方法、原発発電についての意見を聞かれた。

全てが的外れな劇のようだった。





1日がかりの警察での取調べを終え、監視付きで開放された。

自分の部屋にもどり、今日一日のことを考えた。
とにかく、僕には何の問題も無い。それは事実だ。
全国にいる貝殻鉛筆の49人のモニターか、貝殻鉛筆の製造会社関係者という警察の絞込みは間違いのないことだろう。
しかし、誰かが、その鉛筆を使って原子力発電所に脅迫状を書く、それはあまりに軽率だ。
犯人が限定されてしまう。

部屋にころがっている貝殻鉛筆を見た。
外見はどこにでもある鉛筆だ。ただ書き味が良い。まるで麻薬のように何かを書かずにはいられなくなる鉛筆。

問題となった原発は、2日間活動を中止し、爆弾などが無いか調査して活動を再開するとのこと。

僕は、久々に疲れて眠りについた。またもや早朝の激しいドアのノックの音がするまで。





今度は企業トップの誘拐犯人疑惑だった。
大手自動車産業の重役が誘拐され、身代金が要求されているらしい。
その要求書が貝殻鉛筆で書かれていた。

いったいどうしたというんだろう?
「闇の犯罪界」で、貝殻鉛筆が流行っているとでもいうのだろうか?

今度も、僕は潔癖の自信がある。
あの鉛筆を使って書いたものは、青っぽい詩と駄作の散文と冷蔵庫のスケッチだけだ。

マスコミでは原子力発電所の脅迫事件と自動車会社の重役誘拐事件は報道されていたが、そこに「ある鉛筆」が共通に使われているという情報は伏せられていた。

僕が早朝、叩き起こされてから一週間後、自動車会社の重役が開放されたことがニュースで報道された。
身代金が支払われたかどうかは発表されていない。

貝殻鉛筆を使うと「危ない思考回路」が発達して「優秀な犯罪者」ができるというデータでもあるのだろうか?





その男はコンビニで下着と髭剃りを万引きしたかどで、警察に突き出された。

ある国から日本に来て半年が経っていた。日本語は流暢ではないが、十分に話せた。
警察は麻薬関係も疑い、彼の所持品を調べた。
靴底からハッシッシが見つかった。
彼の身辺は単なる万引きからいっきに麻薬密売関係の疑いをもたれ調査された。
しかし、その手の関係は否定され、単なる麻薬常習犯だけだと分かり、一ヶ月の禁固刑ですんだ。

留置場の担当官が彼の所持品の目録を作った。
パスポート、はがき、家族の写真、手帳、不思議な形をした筆記道具らしきもの。

「なんだい、これは?」担当官が聞いた。

「これは、僕の生まれた村で作っているペンだ。」

担当官が試し書きをしてみると、日本の鉛筆のような筆跡になった。

「なかなかいい書き具合じゃないか。」

「秘伝のペンだからね。」





「社長、どうしましょう?」

「しばらく、様子待ちだな。」

「いいんですか? 発売しても?」

「バレやしないだろう・・・。あんな異国の片田舎のもんだから」

「しかし、一体、誰が犯人でしょうね?」

「うちの社員じゃないことだけ分かっていればいい。」

「そうですが・・・」

「刑事事件から、商法の問題がばれることもありますからね」

「重役誘拐に比べたら、微々たるもんだよ。」

「・・・・。」

「とにかく、製造方法と、あそこの原石は我が社が押えた。世界のどこも真似できないはずだ。」





僕は鉛筆を眺めた。

重役が助けられて以来、早朝の刑事訪問は無くなった。
あのドタバタ劇の疲れのせいか、真夜中に何かを書くことがなくなった。
それも、ピタッと書く気が失せた。
主治医は「それもまたよしとしましょう」と言った。

貝殻鉛筆はまるで持ち主の生気を吸い取るようだった。
書き心地がいいので、書かせるだけ書かせるのだが、その分、こちらの熱意が冷めていく。
そんな鉛筆だ。

原発の爆破予告事件も、会社重役誘拐事件もマスコミから忘れされるようにして、半年が過ぎた。

そして、貝殻鉛筆が発売された。
発売日から1週間後、僕はまた早朝の刑事訪問を受けることになった。


「また何か、事件でも?」

「いや、その後、どうしているかと思ってね。まだ、何かを書いているのか?」

「いいえ、あれから全然。」

「どうやらそうらしいな。貝殻鉛筆の社長がぼやいていたよ。」

「なんて?」

「あの鉛筆は一発屋で、ロングセラーにならない。みんなある日、ピタッと鉛筆を使わなくなるそうだ。」

「へー、みんなそうだったのか。僕だけかと思った。」

「とこで、その貝殻鉛筆だが、どこかの国の企業秘密をパクッテ作っていたらしい。」

「ふ〜ん、そうなんだ。」

「あ〜、間抜けな万引きが一人捕まってね。そいつの生まれ故郷の特産だったらしい。」

「それで?」

「まぁ、それで、その国のある地下組織がいろんな国の主要人物を誘拐して、身代金でかせいでいるという噂がある。」

「・・・・・・。」

「そこまでだ。あとは、外交ルートの問題で先にいかない。」

警察もなんだか、いろいろとつまんない社会のようだった。

「まぁ、そういうことで。事件の『関係者』に一言連絡しておこうと思ってね。」

「それはわざわざ。」

刑事が訪問してきた夜、電話がなった。

「あの〜新しい洗剤のモニターをお願いしたいのですが。」

もう、モニターはこりごりだった。



(終わり)

posted by ホーライ at 02:13| Comment(0) | 短編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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